【2022年5月14日号】甘縄神明神社は鎌倉最古の神社です
「甘縄神明神社」は長谷の鎮守で鎌倉最古の神社です。和銅3年(710)行基が草創して、由比の長者・染屋時忠が建立したと伝わります。源頼義(源頼朝の5代前の祖先)が相模守として下向の折に、平直方(時忠の
「甘縄神明神社」は長谷の鎮守で鎌倉最古の神社です。和銅3年(710)行基が草創して、由比の長者・染屋時忠が建立したと伝わります。源頼義(源頼朝の5代前の祖先)が相模守として下向の折に、平直方(時忠の
来迎寺は、もとは源頼朝が三浦大介義明の菩提(ぼだい)を弔うため、建久5年(1194)に建立の「能蔵寺」という真言宗寺院でした。
安養院は鎌倉では最大のツツジの名所で4月中旬頃から咲き始めます。山門前や道路側の土手に咲いているのはオオムラサキツツジで色合いが見事です。大正12年(1923)の関東大震災後に植えられたもので100
広元は初代公文所別当で鎌倉幕府の文官として活躍広元は源の頼朝の招きで鎌倉に下向。頼朝に守護、地頭の設置を献策し、また、承久の乱では、上洛を主張し幕府側の勝利に貢献します。広元邸は、十二所(じ
延台寺は虎女(とらじょ)/虎御前が開いたお寺です。同寺の法虎庵に霊石「虎御石(とらごいし)」が祀(まつ)られています。昔、大磯の長者夫婦は子宝に恵まれず「虎池弁財天」に祈願。すると夢枕に弁財天が現れ
伊東祐親(すけちか)は北条義時の母方の祖母、平安時代後期の武将で伊豆伊藤庄の領主でした。平氏に仕えて、伊豆に流罪の源頼朝の監視役を担っていますが、頼朝が祐親の娘に一子を生ませると激怒してその子を殺害
”修禅寺”の歴史は宗派的に、真言、臨済、曹洞の三つに区分できます。創立は大同2年(807年)で弘法大使とその弟子によって開かれた真言宗の寺で、その後、建長寺開山の蘭渓道隆禅師が一時居住すると臨済宗と
“天守君山願成就院”は時政開基の寺院です。『吾妻鏡』 文治5年(1189)6月6日の条に時政が源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して伽藍(がらん)を造営したとあります。 この辺りは現在の伊豆
「北條寺」寺伝によれば、義時は長男安千代が亡くなるとその菩提(ぼだい)を弔うために墓所として七堂伽藍の寺院を建立したとあります。当時の仏殿には義時が運慶に命じて造ったと伝わる本尊「木造阿弥陀如来坐像
真言宗泉湧寺派の覚園寺(二階堂)は義時が建立の大倉薬師堂が始まりです。永仁4年(1296)に蒙古襲来の再来がないように北条貞時が四宗(天台・真言・禅・浄土)兼学道場としての寺の改めます。薬師堂ヶ谷の