【2022年7月23日号〜かん治さんの歴史探訪】

三浦市の金田湾南端の丘に岩浦山(いわぶさん)福寿寺があります。開基義村は三浦義澄の次男で母は伊東祐親の娘です。幼名は平六、後に駿河守・評定衆に任ぜられています。
源頼朝挙兵の際には父と共に参戦し、頼朝の死後には梶原景時の追放や和田氏の乱でも重要な役割を担いました。義村と北条義時とは従兄弟(いとこ)で常に北条氏を助け、義時の頼れる友でもありました。

朝夷奈切通
福寿寺本堂/三浦市南下浦町金田。 京急線「三浦海岸駅」からバス乗車。「岩浦」下車徒歩3分

義村は北条氏に忠誠を示しています

義村は三浦氏隆盛の時代を築きます

義村は源実朝暗殺直後には公暁を誅(ちゅう)し、承久の乱に際しては在京していた弟胤義から京方への参加を勧誘されますが北条泰時の軍に従い戦功を上げています。
義村は、執権泰時の『御成敗式目』の制定にも貢献し三浦氏隆盛の時代を築きます。

南向院跡の義村の墓

寺宝に義村愛用の鞍・鐙等があります

現在は臨済宗建長寺派の寺院です

同寺は正治2年(1200)3月に建立。ご本尊は聖観世音菩薩で行基作といわれています。
義村愛用の鞍(くら)、鐙(あぶみ)等が伝わり、また一の谷鵯越(ひよどりごえ)の山路で源義経軍が迷った時、義村の馬首に地蔵尊が現れ勝利に導いた“勝軍地蔵” が祀(まつ)られています。この地蔵を後に義村は寺の南の南向院(同寺塔頭・廃寺)に祀ります。

義村愛用の鞍と鐙

本堂横に世界的著名人の“顕彰之碑”

本堂横には第一次南極観測隊の隊長・西堀栄三郎氏、冒険家・植村直己氏、世界的ヨットマン・多田雄幸氏の名前を記した“顕彰之碑”があります。
前面に石造りの“地球儀” を、碑の背板はエベレストの山の形、“夢”の文字、ヨットのセールの形を表現。
先代住職と3氏とは親交が深く、3氏が“夢”に挑戦の直前には同寺を参拝されていました。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。