真言宗泉湧寺派の覚園寺(二階堂)は義時が建立の大倉薬師堂が始まりです。
永仁4年(1296)に蒙古襲来の再来がないように北条貞時が四宗(天台・真言・禅・浄土)兼学道場としての寺の改めます。
薬師堂ヶ谷の奥深い境内は古都鎌倉らしい静けさがあり本薬師堂には本尊薬師三尊像、十二神将立像等多くの仏像が祀(まつ)られています。

本堂薬師堂
覚園寺
鎌倉市二階堂421。
JR鎌倉駅から「鎌倉宮行バス乗車」大塔宮バス停下車徒歩約10分

大倉薬師堂創建の由来とは

薬師如来のお告げが義時の夢の中に現れて…

覚園寺の山門

建保6年(1218)7月8日に、将軍実朝が鶴岡八幡宮に出かけた時に義時も参会します。
帰宅して眠りにつくと戌の刻の夢の中に薬師十二神将の戌神が現れて「今年は事故なく済んだが、来年の神拝には供奉してはいけない」と告げます。
夢から覚めた義時は、これは薬師如来のお告げだと同年7月9日に大倉薬師堂を建立しはじめます。
同年12月2日には薬師如来像を安置し供養をします。

 

実朝暗殺の災いから逃れます

実朝右大臣拝賀の式に臨んで義時は急に心神が乱れて…

覚園寺の境内

義時は明年の承久元年(1219)正月27日、鶴岡八幡宮での拝賀の式に出向き八幡宮の石段際まで来て白い犬を見たときに心を乱されて動けなくなります。
そして剣持ちの役を中原仲章に譲り退去し自亭に帰って、義時は実朝暗殺の災いから逃れました。

 

十二神将像のうちの戌(いぬ)神将の話

本堂内天井には足利尊氏署名の棟札が残っています。

薬師堂創建当初のお堂は消失し、現在のお堂は文和3年(1354)に尊氏により再建されてます。
中央の本尊薬師如来は病を治す仏様で、その両脇には日光・月光菩薩が祀られています。
さて堂内に祀られている十二神将像のうち戌神将は、公暁が義時の代わりに剣持ち役を担った仲章を斬った時に、薬師堂内の戌神将は堂の中におられなかったと『吾妻鏡』に記されています。

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。