「甘縄神明神社」は長谷の鎮守で鎌倉最古の神社です。和銅3年(710)行基が草創して、由比の長者・染屋時忠が建立したと伝わります。源頼義(源頼朝の5代前の祖先)が相模守として下向の折に、平直方(時忠の婿)の娘をめとり同社に祈って八幡太郎義家を授かったといわれ、源氏と縁の深い神社です。頼朝の伊豆配流期より仕えた安達藤九郎盛長の館はここ“甘縄”の地にありました。

来迎寺
甘縄神明神社/鎌倉市長谷1-12-1
江ノ電 長谷駅下車徒歩5分

“安達藤九郎盛長”は鎌倉幕府の重鎮です

盛長は頼朝挙兵時に関東武士に参陣を促します

社前の安達盛長邸址の石碑

頼朝挙兵時には盛長が近隣の関東武士に参陣を促し、石橋山の合戦に加わり軍功をあげます。
安達氏の基礎を築いた武将で、甘縄の館には頼朝もたびたび訪れています。
盛長は後年に陸奥国安達郡(現在の福島県二本松市)に居住したので安達姓を名乗ります。

 

安達景盛と2代将軍頼家の事件

景盛は父盛長の軍功により将軍頼家に仕えます

頼朝の急死で嫡子頼家が若くして2代将軍となりますが、無謀な行動が多く、御家人等から反発され結果的に北条時政・義時、安達盛長等の13人の合議制で政治が動きます。
頼家は盛長の嫡子景盛を三河国への派遣を命じ、その間に景盛の愛妾(あいしょう)を略奪寵愛(ちょうあい)します。
鎌倉に戻った景盛は頼家に怒り不満をもち争いになりかけますが、御台所政子の計らいで免れます。

 

景盛の娘は松下禅尼です

景盛の娘は北条義時の孫、時氏に嫁ぎます。
建長寺の開基北条時頼の母の松下禅尼です。
この甘縄の地は禅尼の実家であり、円覚寺開基北条時宗の誕生の地です。
景盛は秋田城介を称して、子孫もこれを世襲しています。
安達氏は宝治合戦では三浦氏排除の中心的な活躍をしています。

境内の北条時宗公産 湯の井

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。