はじめまして。
社会人大学 代表理事の桑名です。

このコーナーでは、学校では教えてくれないような “ 社会の本質 ” や、 “ モノの見え方や伝わり方 ” 等についてお話していこうと思います。

第一回目の授業は、「知る」と「やる」の差についてです。

 

薇薔」これって何て読むか知っていますか?

実は「バラ」ではありません。
「バラ」と読んでしまった人は多いのではないでしょうか。

実は「ラバ」なのです。
「薔薇」をひっくり返して表記してあります。
なんとなく漢字のイメージで覚えているという事なのですね。

さて、それではひっかけ問題は別として、「薔薇」を「バラ」と読める方に質問です。
このページを伏せて、「バラ」という漢字を書いてみてください。
……書けましたか?
恥ずかしながら私は「草かんむり」と「回」という文字がある事は判りましたが書けませんでした。

これが「知る」と「やる」または「判った」と「できた」の差なのですね。
しかもその差はすごく大きいものです。
私も若手の教育でよく伝えることがあります。
「わかりました!にわかったためし無し。
 できるようになった姿が『わかった』なのだよ」
と。

つまり、読めるだけではダメで、書けるようになって初めて「理解できた」「本当にわかった」という事になるのです。
そして本当に「わかった」のであれば、人に教えることができます。
皆さんも仕事場や家庭内で次のような経験はあるのではないでしょうか?

 

職場でも家庭でもこんなことあるある。

【仕事場で】

教わってこんなの簡単!と思っていたが、自分が後輩に教えるときにドキドキしてなかなかうまく教えられなかった。

【家庭内でご主人やお子さんに】

「忙しいからお風呂掃除やってよねー。」
「わかったー」
でもやってくれていない。

これらはちょっと角度が違うかもしれませんが、「わかった(知る)」と「やる」の差の問題と言えます。

お風呂掃除の例でいうと、「わかった」と言って理解しなければいけないのは、
「風呂掃除をする事」ではなく、忙しく疲れている中で家事をやる「奥様(母親)の気持ち」ではないかと思うのです。
それが本当に「わかった」なのです。

このように「知ってる」「わかってる」と、「やる」「できる」には大きな差があります。
これを軽んじて安請け合いしたり、人の話を信用したりすると後でしっぺ返しが来るので注意をしたいところですね。