浄楽寺は和田義盛夫妻の発願
【2022年8月6日号〜かん治さんの歴史探訪】浄楽寺(横須賀市)の正式名称は金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺です。その開創は不明ですが、文治5年(1189)に鎌倉幕府侍所初代別当和田義盛が夫人と共
【2022年8月6日号〜かん治さんの歴史探訪】浄楽寺(横須賀市)の正式名称は金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺です。その開創は不明ですが、文治5年(1189)に鎌倉幕府侍所初代別当和田義盛が夫人と共
【2022年7月23日号〜かん治さんの歴史探訪】三浦市の金田湾南端の丘に岩浦山(いわぶさん)福寿寺があります。開基義村は三浦義澄の次男で母は伊東祐親の娘です。幼名は平六、後に駿河守・評定衆に
鎌倉は三方を山に囲まれて、他地域との往来は山越えしかありません。山の尾根を切り開いたのが“切通”です。鎌倉には七口あり、その一つが鎌倉と金沢を結ぶ“朝夷奈切通(あさいなきりどおし)”です。和田義盛の
横浜市金沢区釜利谷の東光禅寺は建仁年間(1201~1204)に重忠が創建したと伝わります。創建当時は鎌倉の薬師堂ヶ谷(現二階堂大塔宮辺り)にあり、医王山東光寺と称していました。弘安5年(1282)に
同寺は臨済宗建長寺派の寺院で山号は粟船山(ぞくせんざん)です。“粟船(あわふね)”は、大船の古名。開基は三代執権北条泰時で、妻の母の供養のためにこの地に“粟船御堂” を建てたのが始まりです。開山は退
来迎寺は、もとは源頼朝が三浦大介義明の菩提(ぼだい)を弔うため、建久5年(1194)に建立の「能蔵寺」という真言宗寺院でした。
”修禅寺”の歴史は宗派的に、真言、臨済、曹洞の三つに区分できます。創立は大同2年(807年)で弘法大使とその弟子によって開かれた真言宗の寺で、その後、建長寺開山の蘭渓道隆禅師が一時居住すると臨済宗と
“天守君山願成就院”は時政開基の寺院です。『吾妻鏡』 文治5年(1189)6月6日の条に時政が源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して伽藍(がらん)を造営したとあります。 この辺りは現在の伊豆
「北條寺」寺伝によれば、義時は長男安千代が亡くなるとその菩提(ぼだい)を弔うために墓所として七堂伽藍の寺院を建立したとあります。当時の仏殿には義時が運慶に命じて造ったと伝わる本尊「木造阿弥陀如来坐像
真言宗泉湧寺派の覚園寺(二階堂)は義時が建立の大倉薬師堂が始まりです。永仁4年(1296)に蒙古襲来の再来がないように北条貞時が四宗(天台・真言・禅・浄土)兼学道場としての寺の改めます。薬師堂ヶ谷の