高養寺(こうようじ)”は逗子海岸沿いの高台に位置し、本尊の不動明王には伝説があります。
昔、不漁が続き村人は鎌倉のお坊さんに相談。お坊さんは海側から披露山あたりを見ると光るものを見つけ、調べると岩のほら穴の中に石の不動尊を発見します。村人が大切に不動尊を奉ると再び大漁になります。
この不動尊は船を雨風から守り「浪切不動」、後ろに滝があり「白滝不動」とも呼ばれていました。
小説『不如帰』のヒロインの名にちなんで
◆現在では“浪子不動”の名で親しまれています
明治以前は漁民の信仰を集める不動堂でしたが、明治の文豪・徳冨蘆花のベストセラー小説『不如帰(ほととぎす)』が、ここを舞台としていたことから小説のヒロイン「浪子(なみこ)」に因み「浪子不動」と呼ばれるようになりました。
海中に立つ「不如帰」の碑は徳富蘇峰の書
◆江戸城修築のために輸送中に難破した石を使用
同寺前の海中の岩場に立つ「不如帰」の碑は、昭和8年(1933)に建てられました。
碑の文字は蘆花の兄・蘇峰の筆です。
この石は江戸時代の初め、江戸城修築のために、鍋島藩(佐賀藩)が伊豆から江戸への海上輸送中に嵐に遭い、大崎沖で難破し置き去りにされた石のようです。
“高養寺”の寺名は元首相の名にちなみます
昭和初期の日本画家・黒住章堂は出家し葉山の慶増院に入り、同寺の復興を志します。
黒住の知人で当時、逗子在住の元首相・高橋是清と犬養毅の援助を受け本堂を建立。
その頃、浪子不動も堂再建の計画があり、慶増院の本堂を昭和28年(1953)に移築しました。
高養寺の「高」「養」は元首相から一字ずつとっています。
境内からは披露山公園に抜けるハイキングコースがあり、大崎公園も合わせて相模湾や富士山の絶景が楽しめます。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。