鎌倉市浄明寺は鎌倉五山第五位の浄妙寺に始まる地名ですが、江戸時代には、「浄妙寺」とも「浄明寺」「常明寺」とも書かれていたようです。
現在の地名「浄明寺」になったのは、諸説ありますが、格式の高い寺名をそのまま使うのをはばかったためだといわれています。
鎌倉駅から十二所方面行きバス「浄明寺」下車徒歩3分
足利義兼創建の足利氏ゆかりの名刹(めいさつ)
中興開基は足利尊氏の父貞氏
浄妙寺は源頼朝公の重臣の足利義兼が、文治4年(1188)に退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を開山として創建。
行勇は頼朝や政子も帰依した高僧です。
始めは密教系の寺院でしたが、四世月峰了然(げっぽうりょうねん=建長寺開山大覚禅師弟子)が住持して臨済宗に改められ、後に寺名も浄妙寺になったと伝えられています。
中興開基は元弘元年(1331)に浄妙寺殿と呼ばれてこの寺に葬られた足利貞氏(尊氏の父)です。
なお、境内の西北上に現在「石窯ガーデンテラス」がありますが、ここは足利直義(尊氏弟)創建の大休寺跡です。
また、そこより北側にある直義墓の前辺りは足利高義(尊氏兄)ゆかりの延福寺跡です。
藤原鎌足の「鎌埋め伝説」
「鎌倉」の名前の伝説的な由来とは
「鎌倉」の名前の由来には諸説あります。
伝説的なものには、藤原鎌足が鹿島神宮に参詣の途中、由井里(今の由比ガ浜)に泊まったところ、夢に白髪の翁が現われ天下がよく治まる方法を告げました。
夢からさめると、枕元に「鎌」が置いてあり、一匹の白狐が現われると鎌足を浄妙寺の裏山に案内しました。
そこに「鎌」を埋め、お堂の「倉」を建てたのが「鎌倉」になったともいわれています。
楽しい話 「十三里半」
今年の十五夜は10月1日で別名を芋名月とも言います。
秋の味覚のひとつに焼き芋がありますね。
昔、焼き芋屋が「十三里半」と書いた看板を出していたようです。
これは栗(九里)より(四里)うまいというしゃれで9+4=13で、これよりも半里分うまいぞとPRしています。
お江戸日本橋はその頃の道のりの起点です。
ちなみに日本橋から鎌倉までの距離がちょうど十三里(約52㎞)です。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で
お酒は2級を飲んでいまして、
プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。