鶴岡八幡宮前から窟(いわや)小路を進み寿福寺前で右折する武蔵大路は、仮粧坂(けわいざか)を通り、梶原を経て藤沢に向かいます。
鎌倉幕府にとって重要な道で、武蔵大路が通る仮粧坂は、京都から東海道経由、あるいは関東北部からそれぞれ鎌倉に入る幹線道路の要所でした。
仮粧坂の名前の由来はいくつかあります。平家の武将の首を化粧して首実検した所、近くに遊女家があり化粧した所などです。
仮粧坂は鎌倉の防御拠点です
◆新田義貞の鎌倉攻めの古戦場でもありました
元弘3年(1333)5月、新田義貞は上野国で兵を挙げ、わずか10日で藤沢の辺りに本隊を集結。
義貞は仮粧坂に向かいますが北条勢の必死の防戦のため義貞軍はいったん腰越近くまで退却し、兵を立て直して、稲村ヶ崎から鎌倉中に攻め入り5月22日に鎌倉幕府を倒します。
鎌倉街道は鶴岡八幡宮が起点です
◆鎌倉から放射状に諸国に通じています
鎌倉街道は鎌倉時代には上道(かみのみち)、中道(なかのみち)、下道(しものみち)に分かれていました。
仮粧坂(化粧坂とも記します)を通る上道は藤沢を経て武蔵国(東京・埼玉)、上野国(群馬)へ至ります。
“鎌倉街道”の呼び名は近世以降です
鎌倉期には、鎌倉往還・鎌倉古道・鎌倉路などとも呼ばれ、鎌倉街道の呼称は近世に付けられています。
『新編相模国風土記稿』によれば、鎌倉郡に七つの小往還があり、そのうち五つを鎌倉道と呼び、鶴岡八幡宮への参詣する巡路(じゅんじ)だと記しています。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。