画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: kanji-title.jpg
歌川広重「東海道五拾三次之内 藤沢(保永堂版)」 (画像提供:電子博物館みゆネットふじさわ)

遊行寺惣門前に架かる大鋸橋(現・遊行寺橋)の傍らには、明治初頭まで江島神社の“一の鳥居”が建てられていました。歌川広重作の浮世絵“東海道五拾三次内藤沢”にも描かれています。
この鳥居が江島神社へ参詣する江の島道の起点でした。

江島神社奉安殿内には八臂弁財天像を安置

◆八臂弁財天像の頭上には宇賀神像が坐します 
江島神社辺津宮境内の奉安殿内には八臂弁財天像(国重文)が祀(まつ)られています。
この像の頭上には宇賀神(人頭蛇身像)が坐しています。とぐろを巻く蛇と翁の顔のお姿です。
宇賀神は穀物の神であり、弁財天は河川をつかさどり、共に穀物の豊穣をもたらすことから神仏習合して日本独自の弁財天を創造しています。
今年は巳年です。ご利益祈願に参拝を。

八臂弁財天頭上の宇賀神像

江島神社の三の鳥居の額の筆跡は蛇文字です

◆正面の額には「江島大明神」と書かれています
“三の鳥居”は江の島島内に入ってすぐの青銅の鳥居です。元は木製でしたが、文政4年(1821)に青銅製で再建されています。
正面の額には「江島大明神」と書かれ、第91代後宇多天皇が奉納の勅額の写しです。
額の文字は弁財天のお使いである蛇をかたどっています。

江島神社青銅の三の鳥居

天保4年刊『浜のさざ波』に“二の鳥居”の記述あり

江の島詣で『浜のさざ波』天保4年(1833)刊には「…左のかたに本蓮寺という寺あり、此辺人家あり、これより先よほどゆけば石の鳥居あり、此処に三~四軒ばかり茶屋あり、ここの古名を洲鼻といえり。これより江の島入口の鳥居まで六町といえども道近し…」とあります。
つまり、現在の片瀬すばな通り商店街内に石造の“二の鳥居”があったと記されています。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。