

(藤沢駅北口から徒歩10分)
藤沢駅北口の遊行通りを10分程歩くと商店街の奥右手に庚申堂(こうしんどう)が建ちます。
八雲は明治23年(1890)の来日直後に、ここを訪れています。
現在のお堂は大正9年(1920)の再建ですが、それ以前の庚申堂の様子について八雲は著書に記し、その時に世話になった堂守や村人たちに別れを惜しむ気持ちを感じたとあります。
境内には20基ほどの庚申供養塔などの石塔群があります
◆その中で最古のものは寛文十三年銘の庚申供養塔です
寛文十三年(1673)銘の青面金剛像が刻まれた庚申供養塔(昭和52年市重文指定)は、舟型の光背で、高さが1m35cmと大型で塔身全体に六臂(ろっぴ=6本の腕)の像が深く刻まれています。
髪は逆立ち、頭にはドクロを乗せ、衣の裾には雌雄の鶏が彫られ、足元には「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が彫られ、中央の猿は首をかがめたポーズです。

堂内には本尊の青面金剛像と脇侍像が祀られています
◆両脇侍は矜羯羅童子と制咤迦童子です
堂内には、江戸時代の作とされる木造の本尊「青面金剛像」が両脇侍(わきじ)の矜羯羅(こんがら)童子と制咤迦(せいたか)童子を従えて祀(まつ)られています。
この三尊は市重文(昭和59年指定)です。ご開帳は60年に一度の庚申の年で、次に、その姿を拝むことができるのは、庚申の年の西暦2040年です。

村人が庚申堂に集い、庚申の夜を寝ないで過ごしました
“庚申待(こうしんまち)”は60日に1度の庚申の夜に、仏教では青面金剛を祀って、寝ないで行う習俗です。
中国の道教に由来し平安時代に伝わり、江戸時代に民間にも広まります。
それは、庚申の夜に眠ると人身中にいる「三尸(さんし)」の虫が、天に昇って、天帝に罪を告げて、人の寿命を縮めるというものです。
そのために、庚申の夜に村人が庚申堂(または当番の家)に集い、その夜は寝ずに過ごして、長寿・無病・息災を願います。
この庚申堂でも“庚申講(庚申待を営む仲間)”が結ばれ、徹夜で酒食歓談をして過ごしました。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。


