最強の「日本流商売」
——「非効率」が、実は効率的な理由

桑名 伸

「非効率」の中に宿る「愛」

「さぁ、あの店に行こう」

欲しいモノがある。サービスを受けたい。食事をしたい。
そんなとき、みなさんはそれぞれの場面にぴったりの「行きつけ」をお持ちだろう。

何かを買いにいくところは、たいてい無意識のうちに選択されている。選ぶまでもないほど自然に決まっていることも多い。

他と比べていない。つまり、競争原理が働いていない。
そのように選ばれる「行きつけ」は、最強の存在と言える。
この最強の存在の裏には、「非効率」が隠れている。

お金を中心とした欧米的な現代ビジネスの視点では、「非効率」は違和感のあるものに見えるに違いない。

しかし、「日本流商売」という視点で考えると、お客様に対する「非効率」は正しいと言える。なぜか?
実は「非効率」的なものの中には、人の心を動かす「愛」が宿っているからだ。

仕事をするとき、お金だけを求めるとしたら、効率重視になりやすい。最大効率を求めてしまう。
ビジネス的に効率を中心に考えて進んでいるときには、何を見落としがちなのかを見つめてみる。

モノやサービスなどを効率的に提供することだけに意識を向けている場合、そこにはお客様への目線は失われているはずだ。そんなとき、お客様はどのように感じるのだろうか。「自分は、効率的に処理をされている」と感じるだろう。

もしくはそれが当たり前だと思って何も感じていないか。処理をされる、イコール、大切にされていない……。
とはいえ、ビジネスを続けるときに業務を効率的におこなうこと自体は、当然そうあるべきだし、どんな組織も非効率的なことは「儲けの邪魔をする悪いもの」として排除しようとするはずだ。

ただ、お客様に向かっての非効率性を「わざわざ」という言葉で言い換えると、違う風景が見えてくるだろう。

「わざわざ」という日本語を辞書で引いてみると、「しなくてもよいことを、あえてすること」「相手のために手間や時間をかけること」と記されている。どちらも、非効率的と言える。

では、その「わざわざ」をしてもらった人はどう思うのか。想像してみてほしい。
わざわざ自分のためにやってくれた、と嬉しく思うはずだ。

「わざわざ」は非効率的だ。
しかし、自分に向かってきたときには「大切にしてくれた」という思いが湧き上がる。心が動く。

そこに価値が生まれるのである。
「非効率」であるがゆえの「愛」は、こうして「わざわざ」が人の心を動かすからこそ生まれるのかもしれない。

お金の利益と、心の利益

実は、利益の種類は、二つある。
お金の利益と、心の利益だ。

お金の利益だけを考えたときには、いかに効率的に販売するか、購入するかという話になってくる。
しかし、売り手も買い手も心の利益は少ない。今の時代の姿だ。
最近、働いている人の多くが辛そうに見えるのは私だけではないだろう。

だからこそ、これからは心の利益を伴った「日本流商売」が必要なのではないか、と私は考えているのである。
必要というだけではなく、実は長い目で利益を計算してみるとお金の利益側でも最強であると言えるのだ。

お客様は、わざわざ自分を大切にしてもらえた、という場所を愛するようになって、みずから他の選択肢を減らしていく。

みなさんも「行きつけ」のお店に出かける理由を考えてみてほしい。
そのときは、金銭的な利益というより、「心の利益」を得たい気持ちのほうが強いのではないだろうか。
これがお客様、特に日本のお客様の姿だと思う。

したがって、心の利益を考えずに、効率ばかりを考えているから、競合他社との競争が延々と続く状態になり、むしろ非効率的だと言える。

しかも、サービスを提供する側にも、お客様の喜びや感謝という「心の利益」がもたらされる——。

広告宣伝にかける費用、常に新規顧客獲得を追い続ける労力と人件費などを考えると、お客様がみずから目指してやってくる、お客様がお客様を連れてくるという「商売」が金銭的にも優位性があるといえるのだ。

お金の利益と心の利益のバランスを、総合的に考えてみよう。

お金の利益を見ているだけの仕事、我々はこれを「ビジネス」と表現しているが、それだけでは、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」に終始する。お客様との関係は長続きしないかもしれない。

お金がないと心が豊かになりにくいけれど、お金がたくさんあるだけで心の栄養(心の利益)が枯渇していれば、心底ではさみしさを感じるのである。

日本人は、古来より連帯を重んじてきた。
戦いに勝つことで自分を承認できる、と捉えてきた欧米の人たちとは、資質が違う。

そもそも、どんな人でも、戦いにずっと勝ち続けることはできない。
その点でも、戦いの図式ではない構造を持つ何かを仕事に組み込む必要がある。

それは、「日本流の商売」と「心の利益」だ。お金をどうやって払わせるかではなく、まず「どうやったら喜んでいただけるか」を考え、商売を始める。
それに対して人からの感謝としての対価が自然と大きな売り上げにつながり育っていく。
その利益はビジネスのように「奪い取る」のではなく、「湧き水」のように湧いてくる。
それは枯れることはない。「商売」ならではのありようだ。

簡潔に言えば、ビジネスでは最初に見るのは「お客様の財布」。
「商売」の場合は最初に見にいくのは「お客様の心」ということになる。

ビジネスだけをしている場合、ビジネスマンは、効率的に利益を上げる必要経費の中の存在として扱われるといっても過言ではないと思う。
しかし、商売における会社と社員の関係は、「お客様を喜ばせて双方が潤う」という共通の目的に向かう「同志」としての存在になると私は考える。そして商売人つまり社員は、自分の力量で相手を喜ばせる自己承認することが、やりがいにつながるのだ。

分かりやすい例を挙げてみよう。みなさんだったら、次のどちらの居酒屋さんを「行きつけ」にしたいだろうか。

「ポイントが貯まっているので、ビール一杯、無料になります」と伝えてくれる。

「いらっしゃい。やっと就職先決まったんだって!?おめでとう!これサービス」とビールジョッキをドーンと置いてくれる。

ビール一杯を無料で飲めた点では同じだが、味わいが違う。
商売のお店では、ビールの味わいに加え「心の味わい」がついてくる。
つい、「ありがとうございます!」と言いたくなるのではないか。
「心の利益」を感じると、お客様側が「ありがとう」を言いたくもなるのだ。

ポイントカードでお得だというビジネスは、お客様を「カスタマー」という無名の存在としてだけ見てしまいがちだ。ただ、ポイント云々という動機で来てくれていたお客様は、次回はビール無料クーポン券を配っているお店に奪われる可能性が大だ。
常に「お得さ」を求め、どこかに行ってしまいかねない。
価格優位性など、ビジネスの世界の敵が多くいる海では、敵のことを見てばかりで店側もお客様の心を見つめる余裕がない。

お客様の「人となり」を見ている対応(おもてなし)と、「一消費者」として処理をするという、大きな違いが存在するのである。

その大きな違いは一朝一夕で作られたわけではないだろう。
このお店では別の日にもおそらく、「今日は暑かったねぇ。お疲れ様」「これサービス! 精がつくから食べな。明日も頑張れよ」などと、「あなたがお客様として来てくださって、私たちはとても嬉しい」と伝えてくれるような「もてなし」を積み重ねているはずだ。

自分を見てくれている。認めてくれている。お客様からすれば、そう思える居場所は、替えが利かない。大切な承認欲求を満たしてくれるのだから。すると、「競争」から「選ばれた」へと変わっていく。

「わざわざ」といった非効率的な「商売」のエッセンスを採り入れたら、お客様は比較選択という眼鏡をみずから外していく。そこに、私は日本の未来を感じるのだ。

「日本流商売」が最強である理由

お客様の「人となり」に対して、喜んでいただけるサービス提供の積み重ねを続けるという仕事のやり方は、非効率的かもしれない。替えの利くアルバイトに、すぐ伝えられる接客でもない。

逆に言えば、今の世の中では、「間違いのないマニュアル通りの対応」から外れられず、同じようなフランチャイズ店舗が展開されがちで、商売力が薄くなってもいる。だから現在において「心の利益」を渡せたり受け取ったりできる場所は、貴重なのだ。

「商売」は、短期的には非効率的に見えるけれど、強い。
「商売人」として強く成長できるプロセスに、日本の未来があるのではないかと思う。

「わざわざ」をはじめとした「日本流商売」が最強である理由は、以上だ。

最後にもう一つ付け加えておきたい。
「わざわざ」を提供できるようになるには時間と労力が必要だ。マニュアル慣れした若手を教育するのも非常に手間がかかるし、疲れる仕事だと思う。しかし、日本伝統の鍛冶の技術に見られるように、歳月と手間暇をかけて造られたものは強く崩れにくい。一度造ったその文化はそう簡単に揺るがないだろう。お客様のオンリーワンになってから胡坐あぐらをかかない限り、だが。

「日本流商売」。
それは、お客様側、商売側の両方の心に潤いという利益を、未来永劫与え続けてくれる最強の商売手法である。