

鎌倉駅から徒歩16分
楞厳(りょうごん)山妙法寺の開山は日蓮、その後2世日朗、3世日印、4世日静(にちじょう)、5世日叡(にちえい)と住持(じゅうじ)が続きます。
日静と日叡は仏縁では師弟関係ですが、血縁では敵味方です。
護良(もりよし/もりなが)親王と足利尊氏は幕府を倒すまでは味方同士でしたが後に敵対します。
日叡の父の護良親王は足利直義(尊氏の弟)により命を奪われます。
日静は尊氏・直義の叔父といわれています。仏縁は、血縁の恩讐(おんしゅう)を越えて、日静と日叡の師弟を結んでいます。
境内裏山には“松葉ヶ谷御小庵跡”があります
◆護良親王の墓のある山頂からは鎌倉市街地と由比ガ浜を見渡せます
境内裏山には「松葉ヶ谷御小庵跡(まつばがやつごしょうあんあと)」があります。
日蓮聖人は、ここに庵(いおり)を構えて、立正安国、国土安穏の実現を目指したといわれています。
また、西側に日叡上人とその母(南の方)の墓があり、東側には護良親王の墓があります。
護良親王の墓がある山頂からは鎌倉の市街地と由比ガ浜を見渡せます。

法華堂は水戸徳川家の寄進です
◆法華堂には日叡作と伝わる「厄除祖師像」を安置
同寺の「苔の石段」の上は、元は釈迦堂があった場所といわれます。
現在は、江戸時代に水戸徳川家から寄進された法華堂が建ちます。
堂内には、中興開山(ちゅうこうかいさん)の日叡作と伝わる“厄除祖師像(やくよけそしぞう)”が安置されています。

“鷲の宮”に関する伝説とは…
由比の長者・染屋時忠の娘が大きな鷲(ワシ)に攫(さら)われ、その後、娘の残骨が各地で発見されます。
その一つが妙法寺の地だと伝わります。
時忠は怒り、鷲をことごとく殺したため、その祟(たた)りを恐れ、また再び子供が鷲に攫われないようにと、当寺境内に「鷲の宮」を祀(まつ)ったといわれます。
時忠の娘に関する伝説は、鎌倉市内の西御門来迎寺・魔の淵のお地蔵様・辻薬師堂・多聞院・六国見山・塔ノ辻にも残されています。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。


