【2021年7月24日号】教恩寺(大町)の辺りは鎌倉七座の中心地

時宗の中座山(ちゅうざさん)教恩寺の開山は知阿(ちあ)上人、開基は小田原城主三代北条氏康です。
元々は材木座の光明寺境内にありましたが江戸時代の延宝6年(1678)に現在地に移築されました。
手入れの行き届いた境内は街中と思えない程の静寂が漂います。
鎌倉時代のこの辺りは米座と称して鎌倉七座<絹・炭・米・檜物(ひもの)・千朶積(せんだつみ)・相物(あいもの)・馬商(ばしょう)の七組合>の中心地で山号の中座山の由来のようです。

中座山
鎌倉市大町1-4-29

本堂の「中座山」の額。

 

 

本尊阿弥陀如来像にゆかりの話

本堂には阿弥陀三尊像(県重文)が祀(まつ)られています

教恩寺の境内

本尊は阿弥陀如来像です。
脇侍は観音・勢至菩薩像で、三尊とも鎌倉前期の作です。
本尊の阿弥陀如来像は運慶作と伝わります。
源平合戦で敗れた平清盛の子重衡が鎌倉に連行された時に、源頼朝は重衡の死を覚悟し臆することのない態度と潔さに感服し、平氏一族の冥福を祈るように与えたのが当寺の阿弥陀如来像です。
重衡はこれをあつく信仰したと伝わっています。

 

謡曲『千手』の舞台

重衡と千手前の悲恋物語

教恩寺の山門

頼朝は幽閉中の重衡を慰めるために舞姫・千手前(せんじゅのまえ)を差し向け酒宴を催します。
重衡と千手前の出会いは二人の絆を堅く結びますが1年後、奈良木津川で重衡は処刑されます。
千手前は悲しみのあまり数年後に24歳の若さで世を去ります。

 

 

落語「源平盛衰記」

「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり……おごる平家は久しからず」平家物語の開巻第一の文章です。
落語では源義経が大活躍をして平家を壇ノ浦の戦いで敗る場面がオチです。
建礼門院徳子姫が辞世として八木節を唄う。
義経もただ見ている訳にはいかずに一緒に唄う。
すると平家方の幹部の一人、能登守教経が登場し、八木節にあわせて踊り出す。
教経が踊ったばっかりに、平家が西海に没落をいたします。
世のことわざに「おどる平家は久しからず」

 

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で
 お酒は2級を飲んでいまして、
 プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。

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