鎌倉幕府3代将軍源実朝の死去後に朝廷と幕府の関係が悪化。
承久3年(1221)5月に後鳥羽上皇の朝廷側と幕府の戦い「承久の乱」が起こり、幕府が勝利します。
乱後に後鳥羽院は隠岐、順徳院は佐渡、土御門院は土佐に流されます。
後に幕府は、三天皇の御霊をなだめるために今宮を創建。
近年に台風被害が有り、令和3年5月に新御社殿竣工祭、6月3日には遷座祭が行われました。

新しく竣工された「今宮」。

今宮
鎌倉市雪ノ下3-1-31
JR横須賀線・江ノ島電鉄「鎌倉駅」から徒歩15分

承久の乱から今年で800年。『吾妻鏡』の記述より

義経追討の院宣(上皇の命令)に対する北条政子の大演説

今宮の御社殿前の鳥居

「皆、心を一つにして聞くように、是が最後の言葉です。頼朝公が朝敵を討伐し、鎌倉幕府を開いてからは官位と俸録を頂きましたね。山よりも高く、海よりも深い恩に報いるのは今です」と御家人達に呼びかけました。
武家が朝廷に背く原因は上皇が御寵愛(ちょうあい)の舞女亀菊の申請に応じて2度も理不尽な院宣を下され、義時が承諾せず、上皇がお怒りになったためでした。

 

後鳥羽上皇の崩御後に不吉な事が続いて…

幕府の中心武将の死等が続きました

後鳥羽院が延応元年(1239)2月、隠岐で崩御すると同年の12月鎌倉の有力武将・三浦義村が瀕死、仁治3年(1242)6月には北条泰時が高熱に苦しみながら亡くなったといいます。
また地震で山崩れがあり、また津波、大風雷鳴が続きました。
そこで幕府は宝治元年(1247)4月25日に鶴岡八幡宮乾(いぬい=北西)の山麓に後鳥羽院の御霊を勧請して祀(まつ)り創建されたのが今宮です。

 

お宮の後ろの六本杉の話

今宮の御社殿の後ろに杉の大木がありました。
この杉は天狗の栖(すみか)だとか、杉の辺りで光る物を見たという話が伝わっています。
幹が六本に分かれた珍しい形で六本杉と呼ばれていましたが、現在は既にありません。

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。