かん治さんの歴史探訪
青砥藤綱(あおとふじつな)の 鎌倉滑川での銭拾い伝説

『太平記』によれば、藤綱は夜中に東勝寺橋の上で、滑川に誤って銭十文を落とすと、家来に五十文で松明(たいまつ)を買わせ、川を照らし探し出させます。 同僚が「十文を探すのに、五十文も使って損だ」と笑うと 藤綱は「銭が川に沈ん […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
皇大神宮(藤沢)の創立は 平安時代初期

明治23年(1890)に藤沢町(当時)と鵠沼村は合併しましたが、鵠沼の中心は「皇大神宮」で現在でもその伝統があります。 創立は天長9年(832)の由緒あるお社で主祭神は天照皇大神です。屋島の合戦で有名をはせた「那須与一」 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
藤沢市内の「サバ神社」を探訪

大和市・横浜市・藤沢市の境川流域に12社ある「サバ神社」は、「鯖」「左馬」「佐馬」「佐婆」「佐波」とも漢字表記されます。 各社の主祭神は源義朝(源頼朝の父)が9社で他の3社は源満仲(平安中期の武将)です。社名は一説には義 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
龍ノ口(藤沢)の名前の由来

『江島縁起』に登場の五頭龍は天女との約束を守ります。日照りが続くと雨を降らせ、実りの秋には台風をはね返し、津波が来ると波に当たって押し返し、村人たちに感謝されます。しかし五頭龍の体は、そのたびに衰えていき、やがて尽きます […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
北条氏の家紋や新田義貞鎌倉 攻めに見る湘南の「龍伝説」

『太平記』には北条時政が江の島に参籠して子孫繁栄を祈ると美女が現れて繁栄を約束。女は龍となって海中に入っていき、龍が通った跡には大きな鱗が3枚残っていたとあります。そのことがあって時政は「三鱗(みつうろこ)」を北条氏の家 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
白旗神社(藤沢)のご祭神・ 源義経の伝説とは…

藤沢の白旗神社は古くから相模国一之宮の寒川比古命(さむかわひこのみこと)を祀(まつ)っています。 そして、源義経没後60年の宝治3年(1249)9月に源義経を合祀(ごうし)しました。 白旗神社 藤沢市藤沢2-4-7小田急 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
鎌倉の佐助稲荷神社に伝わる ありがたいお話とは…

源頼朝が伊豆に流されていた時に「かくれ里の稲荷」が夢枕に立ち挙兵を勧めます。頼朝=佐殿(すけどの)を助けた稲荷が佐助稲荷神社の名の由来です。境内には稲荷神のお使いである狐が多く祀(まつ)られています。 他に、狐に助けられ […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
鎌倉・片瀬・辻堂 西行法師ゆかりの史跡めぐり

西行法師は歌人の僧侶ですが、昔は佐藤兵衛尉義清(のりきよ)と言う名の北面の武士でした。 どうして「西行」という名前に? 西行は東大寺再興勧進の為に各地を歩いていて多くの伝説が残されています。     鎌倉の裁許橋の別名 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
大庭城址公園に残る 古代(縄文~平安)の集落址

藤沢の大庭城址公園がある、大庭城山(おおばしろやま)台地は、縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代など各時代の集落址があります。中世に大庭城が築かれる以前から、人々の生活の舞台となっていたようです。 大庭城址公園 藤沢市大 庭 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
萩寺として親しまれている 鎌倉「宝戒寺」

鎌倉小町の「宝戒寺」は天台宗の寺院です。開山は円観慧鎮。開基は後題醐天皇です。伽藍の建設には天皇の勅命を受けた足利尊氏が当たったといわれます。鎌倉の「萩寺」とも呼ばれます。 本覚寺 鎌倉市小町3-5-22鎌倉駅東口から徒 […]

続きを読む