藤沢の大庭城址公園がある、大庭城山(おおばしろやま)台地は、縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代など各時代の集落址があります。
中世に大庭城が築かれる以前から、人々の生活の舞台となっていたようです。
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大庭の地名の由来と城址
大庭という地名は平安時代の「倭名類聚抄」にも記されています。
大庭城は、平安時代に大庭景親の居城と伝わり、室町中期に、扇谷上杉氏の執事太田道灌が本格的な築城を行い、後に北条早雲によって攻略され、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅ぼされ大庭城も廃城となります。
現在でも駒寄・二番構(にばんがまえ)、門先、裏門・城下等の地名が残ります。
東に引地川と西に小糸川が流れる立地
現存の中世城郭址であるとして昭和42年に保存の要望書が出され、昭和60年に現在の公園が完成。
城山の東に引地川、西に小糸川が流れ、流域は湿地帯で大庭城は東西南の三方から敵の攻撃を受けにくい地形を利用して築かれていました。
今では大庭城址公園として藤沢市の桜の名所の一つです。
大庭城主の居館跡
大庭城は、台地上を東西に横断する空堀(からぼり)によって四カ所の郭(くるわ)に分かれています。
最南の郭に大庭城主の居館跡と考えられる掘立柱建物址があります。
この石柱は、昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列を示したもので、実際の柱穴は現在の地表下の50㎝に保存されています。
小ばなし「花咲か爺(じい)さん」
ポチ 「ここ掘れワンワン、
ここ掘れワンワン」
爺さん「ポチおよし、
そんなとこから何も出てきやしないよ」
ポチ 「ここ掘れワンワン、
ここ掘れワンワン」
爺さん「やめとくれ、
穴が大きくなっちまう」
ポチ 「ここ掘れワンワン、
ここ掘れワンワン」
爺さん「ポチやめないか」
(とポチの尻尾を引っ張ったので)
ポチ 「花(離)さんか爺さん…」
かん治さん
「鎌倉検定は1級で
お酒は2級を飲んでいまして、
プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。