平安時代に創建の鎌倉坂ノ下の「御霊(ごりょう)神社」は元々、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の相模五平氏をまつる「五霊神社」の社名でしたが、いつしか武勇に優れた鎌倉権五郎景正公一柱をご祭神とする「御霊神社」となりました。

景正公は湘南・鎌倉地方の開拓をし、その後に戦には出なかったと伝わっています。

歌舞伎「暫(しばらく)」の主人公(景正公がモデル)は「しばらく~」と大声で現れ、罪のない人々を救います。

御霊神社
鎌倉市坂ノ下4-9
江 ノ島電鉄「長谷」駅下車 徒歩5分

 

 

鎌倉権五郎景正公の武勇伝

御霊神社の社殿
御霊神社の社殿

景正公は16歳で源義家に従って奥州での「後三年の役」に出かけ、大いに奮戦。
金沢の柵の戦いで景正公は敵の矢で右の眼を射られましたが、ひるまず相手を切り倒し、矢を抜かないまま自軍に帰り倒れました。
味方の武士が、靴を履いた足で、景正公の顔を押さえて矢を抜いてあげようとすると景正公は倒れたまま刀を抜いて、その武士を突き殺そうとしました。

武士は驚いて問うと
「弓矢に当り死ぬのは武士の本望だが、顔を土足で踏まれるのは武士の恥だ」
と言ったそうです。
その武士は景正公に謝り丁重に矢を抜いたと伝わっています。

 

県無形民俗文化財に指定の面掛行列

江ノ電が通る人気の風景
江ノ電が通る人気の風景

御霊神社の例祭は、ご祭神の景正公の命日9月18日に行われます。
神輿(みこし)の前を、県の無形民俗文化財に指定されている「面掛行列」が十の面(爺・鬼・異形・鼻長・烏天狗・翁・火吹男・福禄寿・おかめ・女)を付けて練り歩きます。

境内の宝物館には行列の時に十人衆がつける面が保存されています。

神輿は、神社前の江ノ電の踏切を渡り、参道を出て、極楽寺坂・坂ノ下大通り・海岸の近くまで行って戻ります。
※今年は神楽・面掛行列は中止。神事のみ執行

 

楽しい話「金的を射落とす」の語源

拝殿の右側上に掛けられている奉納額
拝殿の右側上に掛けられている奉納額

今の社殿は大正2年(1913)に改築されたものです。
拝殿の右側上に奉納額が掛けられています。

当時、境内で社殿改築記念の流鏑馬(やぶさめ)を行い、その時に見事に金的を射た部分と射手の名前が記されています。

「金的を射落とす」という言葉は流鏑馬の神事が語源のようです。

 

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で
 お酒は2級を飲んでいまして、
 プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。