本堂は木造銅葺(どうぶき)で木造では東海道随一といわれます。
ご本尊の阿弥陀如来坐像は、高さ六尺一寸(184cm)、浅草日輪寺塔頭の宝珠院が浅草寺から譲り受けたものです。
宝永5年(1708)夏、遊行48代賦国(ふこく)上人が日輪寺に滞在した時に、この仏像を見て大仏なので本堂に安置するのがふさわしいと言われ、元文2年(1737)10月に遊行寺に移され安置されました。

本堂内・中央に阿弥陀如来坐像

 

本堂前右手の宋租一遍上人像

 

遊行寺
藤沢市西富1-8-1。
藤沢駅北口から徒歩約15分

国重要史跡指定の敵味方供養塔

同寺東入口を入り左手の一基の石塔です

敵味方供養塔は「怨親(おんしん)平等碑」とも呼ばれています。
応永23年(1416)10月から翌年1月に至る「上杉弾秀の乱」で多くの死傷者が出ました。
当時の遊行14代他阿大空(たいくう)上人は傷ついた将兵を収容し治療を行い、また戦没者を敵味方の区別なく平等に弔い供養塔を造立。
この博愛思想の塔や碑は他にもありますが、この碑は、その中でも最も古いもので大正15年(1926)に国の重要史跡に指定されています。

 

惣(総)門といろは坂

惣門は大きな黒の冠木門(かぶきもん)です

惣門といろは坂

門の右には「時宗総本山」、左には「清浄光寺」と書かれた大きな木札が架かっています。
惣門をくぐると石段があります。
「四十八段」とか「いろは坂」と呼ばれています。
段が48に区切られているのと、48は阿弥陀様の本願の数です。
また、「いろは…」は48文字なので、この名が付けられました。

 

小噺「厠(かわや)」

遊行寺の大イチョウ前にいるお坊さんに、おばあちゃんが話しかけました。
「和尚さん。厠(お手洗い)は、どちらですか」と尋ねました。
お坊さんは「そこの茶屋の後ろにありますよ」と答えると、おばあちゃんは厠に向かいました。
すぐに戻って来て言いました。
「和尚さん、カミがないですよ」。
お坊さんはすかさず「ここは、紙ではなく仏ですよ」。
お坊さんが紙をお渡しすると、おばあちゃんは「なんまいだ…」と数え始めました。

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。