”修禅寺”の歴史は宗派的に、真言、臨済、曹洞の三つに区分できます。
創立は大同2年(807年)で弘法大使とその弟子によって開かれた真言宗の寺で、その後、建長寺開山の蘭渓道隆禅師が一時居住すると臨済宗として栄え、次は北条早雲が韮山城主になると寺の再興のため、自分の叔父を住職として招き曹洞宗寺院となり現在に至っています。
※漢字の表記は、地名が修善寺、お寺は修禅寺です。

修禅寺の本堂
修禅寺
伊豆市修禅寺964。
伊豆箱根鉄道「修禅寺駅」下車後、バス「修禅寺温泉」下車徒歩5分

修禅寺真向いの丘に源頼家の墓があります

頼家はこの地で非業の死を遂げます

源頼家の墓

正治元年(1199)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の2代将軍となった頼家は、父の没後に専横(せんおう)になった北条氏を抑えて幕府の基礎作りに懸命でしたが、醜い駆け引きに終始する政争に敗れ、在位6年でこの修善寺に流され、元久元年(1204)祖父北条時政の手で入浴中に享年23歳で暗殺されました。

北条政子が建立の指月殿

伊豆最古の木造建築といわれています

指月殿(しげつでん)

指月殿は、この地で非業の死を遂げた頼家の冥福を祈り、母政子が建立しました。
本尊は釈迦如来坐像で寄木造り、高さ203cmもあります。
お釈迦様が右手に蓮の花を持っているのが特徴です。
”指月殿”の扁額(へんがく)の実物は宋の名僧一山一寧の書といわれ、修禅寺本堂に保存されています。

戯曲「修禅寺物語」

”修禅寺物語”は岡本綺堂が修禅寺寺宝の頼家の面を見て趣を覚え創作した戯曲です。
修禅寺に幽閉中の頼家と面作り師”夜叉王”を中心に描かれています。
特に頼家と夜叉王の娘とのロマンスが見所です。
新歌舞伎の代表作で明治44年(1911)に明治座で二代市川左団次(夜叉王役)で初演されました。
また松竹大船撮影所で映画化しています。
この映画には現在の女優として活躍中の草笛光子さんが頼家の妻”若狭局”役で出演してます。

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。