宝善院(ほうぜんいん)は腰越中学校の裏手にある真言宗寺院で、ご本尊は木造薬師如来立像です。
創建は天平神護年間と伝わり、泰澄(たいちょう)が開山です。泰澄は加賀の白山を開山し、越前・越中・越後では最も高い徳を持つ僧で“越(こし)の大徳(だいとく)”と呼ばれていました。
泰澄が日頃から信仰の十一面観音像をこの地に祀(まつ)ったのが宝善院の始まりです。
村人の信仰の中心として栄えます
◆同寺は二つの山号寺号があります
宝善院の正式名称は「加持(かじ)山宝善院霊山(れいざん)寺」で元は「泰澄山瑠璃光寺」といい、二つの山号寺号をもちます。境内には十一面観音像を祀る観音堂や弘法大師を祀る大師堂があり、墓地には江の島の総別当を勤めた岩本院の歴代住職の墓があります。江戸時代には龍口明神の別当を勤め、その後は近隣の御嶽大権現社などの寺社の管理をも勤めて、村人の信仰の中心寺院でした。
白山信仰の神社は全国に数多くあります
◆泰澄は白山信仰の開祖です
「白山」は石川県と岐阜県にまたがり、富士山・立山(富山県)と共に日本三霊山の一つ。平安中期に越前・加賀・美濃の三方から登る禅定(霊山に登って修行すること)道が開かれます。各登山口の神社は泰澄開祖の白山信仰の拠点となりました。
堂守の夢枕に現われた観音様
十一面観音像は寺の西側にあった観音堂に祀られていました。明治初年の神仏分離令の発布で観音堂が廃れてしまうと、堂守の夢枕にこの観音様が現れて「堂が荒れ果てている」と言うのです。堂守は宝善院の住職にこのことを話し、皆で相談して観音像を宝善院に移したということです。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。