神武寺(じんむじ)は、奈良時代初期に聖武天皇の命を受けた行基がこの地に下向して、十一面観音・釈迦如来・薬師如来の三尊像を祀(まつ)ったのが始まりです。
古くから山岳信仰の霊場で「こうのたけ(神之嶽)」が寺名の由来のようです。
平安時代には、文徳天皇の勅命で慈覚大師円仁が七堂伽藍(がらん)を整えて法相宗から天台宗に改宗します。
現在、三浦半島では唯一の天台宗寺院です。
源頼朝をはじめ幕府の厚い信仰を得ています
◆神武寺は山岳信仰の面影を残しています
『吾妻鏡』には頼朝が政子夫人の安産祈願のため、神武寺等の社寺に神馬(じんめ)を奉納したとあります。
また、源実朝も病気平癒のお礼に参詣しています。
近年では参道整備や薬師堂改修を行い逗子鎌倉でも希少となった山岳信仰の面影を残す寺院です。
“みろくやぐら”と“なんじゃもんじゃの木”
◆県指定名木百選の木は樹齢約400年
墓地の“みろくやぐら”は鶴岡八幡宮の雅楽師・中原光氏の墓で、正応3年(1290)に73歳で没したと刻まれています。鎌倉周辺のやぐらの中で唯一、人の名前が分かるやぐらです。
また、薬師堂前には“なんじゃもんじゃの木”(ホルトノキ)があり、樹齢約400年です。
神武寺の大蛇伝説
昔々、七つの頭を持つ大蛇がこの辺りの沼に棲(す)み、悪行を重ねていました。
困った里人は、この地に来た行基に助けを求めます。行基は自ら十一面観音を刻み経文を唱えると大蛇は「今後は里人を救います」と良い大蛇に変身し里人を助けます。
大蛇が亡くなると里人は、神武寺入口の谷戸に大蛇の魂を祀る七つの諏訪社を建て里人は長く守っていたと伝わります。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。