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瑞泉寺の山門/鎌倉市二階堂710。鎌倉駅からバス乗車大塔宮下車歩10分

瑞泉寺は紅葉ヶ谷の谷戸に広がる“花の寺”として四季折々多くの草花に彩られています。
スイセン、ウメ、ショカッサイ、サクラ、アジサイ、フヨウ、シュウメイギク、モミジ等々です。
本堂や境内には文化財が多くあり、たくさんの伝説が伝わっています。
そして、境内には、吉野秀雄の歌碑、大宅壮一評論碑、久保田万太郎の句碑、山崎方代の歌碑があります。

徳川光圀寄進の“木造千手観音坐像”

◆光圀は“徧界一覧亭”を再建しています 
本堂仏殿には、釈迦如来像や徳川光圀寄進の千手観音坐像、夢窓国師坐像(国重文)などが祀(まつ)られています。国師の母が観音像に祈って誕生したのが国師であるという縁を思わせる尊像です。
光圀は山頂の“徧界一覧亭”を再建して傍らに庵を設けて詩板(現在は仏殿にあります)を掛けています。

木造千手観音坐像

吉田松陰留跡の碑

◆山門の左手前にあります
昭和4年(1929)徳富蘇峰の書で「山の青々とした竹の光が窓からさしこんでくる。方丈は奥深く、錦屏山の懐に抱かれて物静かである。(以下略)」と吉田松陰の漢詩が記されています。
幕末にペリー来航の折、松陰は黒船に乗り込んで海外に渡ろうとしています。
当時の瑞泉寺の住職は松陰の伯父にあたり、松陰は何度か瑞泉寺を訪れています。
海外に渡ろうとした計画は失敗して、松陰は長州(現山口県)の“野山獄”に幽閉されます。その時に瑞泉寺を思う漢詩を残したのです。


“どこも苦地蔵”の話…

瑞泉寺本堂左手の地蔵堂には“どこも苦地蔵”がお祀りされています。昔、このお地蔵様は扇ガ谷のお堂に安置されていました。貧しい堂守が、この地から離れようとすると夢にお地蔵様が現れて「どこも苦、どこも苦」と告げると、堂守は、この地に留まり地蔵堂の護持に力を尽くしたと伝わります。

どこも苦地蔵堂

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。