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多聞院本堂/鎌倉市大船2035 大船駅から徒歩20分

多聞院のご本尊は四天王の中で最強の毘沙門天です。多聞天とも呼ばれ寺号の由来となっています。
真言宗大覚寺派の寺院で山ノ内瓜ヶ谷(北鎌倉)にあった観蓮寺が前身。
永享の乱で衰えた観蓮寺を天正7年(1579)にこの辺りの土豪・甘糟長俊が現在の地に移して寺名を改め、隣接する熊野神社の別当寺院として建立しました。

伝説の浪切不動尊とは…

◆境内の不動堂には不動明王像がまつられています
弘法大師(空海)が修行に渡った唐からの帰りに嵐に遭い船が沈みかけた時に空海が祈ると不動明王が現れ剣をはらうと波が二つに割れ、船はその中を進んで無事に日本へ帰ることができたといいます。そのため、多聞院の不動明王は「浪切不動尊」と呼ばれるようになりました。
境内の不動堂にまつられています。

境内の不動堂

本堂の十一面観音菩薩坐像は岡野観音

◆元々「岡野観音堂」に安置されていました
由比の長者染屋時忠は藤原鎌足の玄孫(やしゃご)で関八州の総追捕使(そうついぶし)と伝わります。
時忠の3歳の娘がワシにさらわれ餌食になり、娘の骨は鎌倉の7カ所にこぼれます。その場所へ供養のために石塔を建てたのが鎌倉中にある「塔の辻」です。骨の一つは岡野(六国見山の辺り)にも落ちました。
時忠は娘の菩提(ぼだい)を弔うために造った観音像の首の内に娘の骨を納め「岡野観音堂」を造立。
その観音像は十一面観音菩薩坐像で、岡野観音と呼ばれ、現在は多聞院本堂内のご本尊の左脇にまつられています。


“とげぬき地蔵”や“晴明石”の話

多聞院には東京の巣鴨の“とげぬき地蔵”を移した地蔵菩薩が本堂にまつられています。
また、山ノ内八雲神社境内の「安倍晴明の石」や「晴明の加持水の井戸」は、もとは多聞院が管理していたとされています。
裏山は六国見山へと至る高野切通となっていて、昔は多くの人が往来していたようです。

多聞院と熊野神社の入口

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。