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稲村ヶ崎・霊山山/鎌倉市稲村ガ崎 江ノ電稲村ヶ崎駅から徒歩5分

稲村ヶ崎は新田義貞鎌倉攻めの古戦場です。義貞が海中に黄金の太刀を投じて龍神に祈ると潮が引き、やすやすと鎌倉に攻め入ることができたという史跡です。
7月から発行の新千円札の肖像は細菌学者北里柴三郎です。北里は東大医学部卒業後に6年間ドイツに留学し近代細菌学の祖といわれるロベルト・コッホに師事しています。コッホ来日の記念碑は稲村ヶ崎にあります。

“稲村ヶ崎”と“霊山山”は山続きでした

◆昭和初期に丘陵の開削工事が行われます 
稲村ヶ崎と霊山山(りょうぜんさん)は一体で山続きでした。
関東大震災で崖崩れが起こり山の形が変わってしまい、昭和3年(1928)に丘陵開削工事で分断され切通し(現R134号線)が開かれます。
霊山山には極楽寺の支院・仏法寺(廃寺)がありました。

霊山山から望む由比ヶ浜

コッホが霊山山に訪れています

◆霊山山には当時「霊山園」公園がありました
霊山園は眺望の良い場所です。明治41年(1908)の夏に、コッホは来日し由比ヶ浜海浜ホテルに滞在。
この時に北里はコッホを霊山山に案内し、後に山上に来訪記念の碑を建てています。
記念碑は昭和58年(1983)結核菌発見100年を機に、鎌倉市医師会により稲村ヶ崎頂上の広場に移転しています。

コッホの記念碑

湘南は津田梅子・渋沢栄一にゆかりの地

新5千円札の肖像は津田塾大学を創設した津田梅子です。梅子の別荘跡も稲村ガ崎にあります。
梅子は昭和4年(1929)7月に鎌倉に移り住みますが、同年8月に脳出血のために64歳で亡くなります。
新1万円札の肖像は「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一です。渋沢は大磯を大変気に入り、当時、大磯にあった祷龍館(とうりゅうかん)の出資者になり、明治政界の奥座敷・大磯にたびたび滞在しています。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。