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海蔵寺本堂/鎌倉市扇ガ谷4-18-8。鎌倉駅西口から徒歩20分

海蔵寺(扇ガ谷)は臨済宗建長寺派の古刹(こさつ)です。この地は亀ヶ谷坂と仮粧坂とに挟まれた静かな谷あいにあり、鎌倉防衛の要衝地でした。
元は真言宗の寺跡に建長5年(1253)に6代将軍宗尊親王の命で前能州(能登国)太守の藤原仲能(なかよし)が七堂伽藍(がらん)の堂塔を整備します。鎌倉幕府滅亡時に伽藍は焼失しますが、応永元年(1394)2代鎌倉公方足利氏満の命で上杉氏定(扇谷上杉氏当主)が源翁禅師(心昭空外)を開山に招いて菩提寺としました。

啼(なき)薬師像の伝説とは

◆薬師堂(仏殿)には本尊薬師三尊像を安置 
本尊の薬師如来は啼薬師とも呼ばれ伝説があります。
ある時、寺の背後の山麓から毎夜、悲し気な赤子の啼き声がします。開山源翁禅師が声の源を訪ねると小さな墓から金色の光が輝き、四方には芳香が漂います。そこで禅師が袈裟(けさ)で墓を覆うと啼き声は止みました。
翌朝に墓を掘ると慈悲深い仏様の頭面だけ出てきたので薬師像を刻み胎内に頭部を納め薬師堂(仏殿)におまつりしました。

薬師堂内の薬師三尊像

鎌倉有数の花の寺として親しまれています

◆四季折々に季節の花々が咲き誇る花の寺です
同寺の境内には季節の花々が多種咲き、鎌倉有数の花の寺として知られています。9月中旬頃からは山門前の階段左右に、白萩や山萩が“枝垂れ花”と“立ち花”が咲き誇ります。
山門から境内に入ると右手には薄紫の紫苑(シオン)を楽しめます。

山門前の白萩と山萩(写真提供:鎌倉市観光協会)

“金槌(かなづち)”を「げんのう」と呼ぶ語源とは…

源翁(げんのう)禅師には「那須野の殺生石」の伝説があります。鳥羽天皇の時代に禅師が石と化した狐の霊を退治した時に使った鉄の杖が金槌(かなづち)のような形をしていたので、金槌を「げんのう」というようになったと伝えられています。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。