

平成26年(2014)夏、江島神社の青銅鳥居にかかる「江嶋大明神」の扁(へん)額が修復されました。
その際に扁額裏面に次の刻字が確認され、藤沢市郷土歴史課に報告されています。
「昭和九年四月改修 社司 相原直八郎。正五位勲五等 水谷銕也 謹作他」と記されています。
相原直八郎は当時の江島神社宮司で、以下、島内の関係者名が並びます。注目は作者の水谷銕(鉄)也さんで、その略歴・作品等を紹介します。
乃木大将像が片瀬海岸に建っていました
◆乃木大将像の作者は水谷鉄也さんです
かつて片瀬海岸に建てられていた「乃木希典像」の作者は水谷鉄也さんです。昭和12年(1937)9月13日の乃木大将の命日にあわせて像の除幕が行われています。
水谷と東京美術学校で同級であった高村光太郎は、回顧録「美術学校時代」で「特に記憶しているのは水谷鉄也君で片瀬の乃木大将の銅像を作った人」と述べています。

乃木大将像は水谷の作品の中でも最大のよう
◆現在は像の台座だけが残されています
高さ3.6mの「乃木希典像」は水谷作品の中で最大のようです。
しかし、第二次世界大戦後に撤去されて以降、行方不明で、現在は像の台座石だけが片瀬漁港入口の駐車場に残されています。

水谷の妻が女子美術学校校長の弟子でした
乃木大将が学習院の院長時代に毎年、江の島で生徒の水泳訓練を行っていた関係で片瀬海岸に銅像が建てられました。この像は、
もともとは女子美術学校(現女子美術大学)初代校長の藤田文蔵さんが制作を引き受けていましたが、制作半ばで亡くなり、水谷がその後をついで完成させました。
水谷の妻は女子美術学校の出身の彫刻家で、藤田さんの弟子だった関係が背景にあったと思われます。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。