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大庭城址公園の桜 Ⓒ公益社団法人藤沢市観光協会 大庭城址公園(藤沢市大庭5230)
JR辻堂駅等バス乗車、バス停「城下」下車徒歩5分

大庭城跡(藤沢市)は令和3年(2021)に藤沢市史跡に指定されています。“大庭城”は室町時代に相模国の守護・扇谷上杉氏の上杉朝昌(ともまさ)が城を守っていたことが判明しており、扇谷上杉氏が築城したと推察されています。
大庭城には石垣や天守閣などはなく、土塁と堀を多用した「土の城」で戦国時代に造られた関東の多くの城と同じ構造です。
石垣や天守閣を備えた「石の城」が関東に造られるのは江戸時代以降です。

引地川親水公園は多目的に利用されています

◆大庭城址公園と共にお花見に絶好です 
引地川親水公園は大庭城址公園のすぐ近くに位置しています。どちらも桜の名所でお花見に絶好です。
湿性植物園や藤棚があり、植物や昆虫、野鳥等を観察でき、芝生広場があり家族連れなどでにぎわい、スポーツ広場等として多目的に利用されています。

引地川親水公園の桜 Ⓒ公益社団法人藤沢市観光協会

舟地蔵は老婆を供養するために建立

◆台座が舟形になっています
戦国時代に小田原の北条早雲は大庭城を攻めますが、周辺は沼地のために難儀します。
やがて、近くに住むボタ餅売りの老婆から引地川の取入口の堰(せき)を止めれば沼の水が干上がると聞き出し、口ふさぎとして老婆を殺します。
北条軍は沼を越えて大庭城を落とします。城下にある台座が舟形の舟地蔵は後世に土地の人々が老婆供養のために建立しています。

舟地蔵

鎌倉権五郎景正と大庭御厨(みくりや)

後三年合戦で名をはせた鎌倉権五郎景正(大庭景正)は先祖の領地・大庭の地を国衙(こくが/役所)の干渉を避けるために、伊勢神宮に寄進します。これが大庭御厨ですが、景正の権利も保障されていたようで実際の運営は景正があたっています。
海・川・丘陵を備えた“大庭御厨”は現在の藤沢市と茅ヶ崎市にまたがる伊勢神宮の荘園でした。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。