

鎌倉は三方が山で、南は海に囲まれた天然の要害の地です。
しかし、外部との往来には険しい峠を越える必要があり、そのために山や丘陵を切り開いて「切通(きりどおし)」をつくりました。また、外部の侵攻から鎌倉を守る防御拠点ともなりました。
鎌倉には七つの切通があり、“極楽寺切通”は鎌倉西方の重要な防御拠点でした。
新田義貞の鎌倉攻めの際には激戦の地でした
◆鎌倉と京都を結ぶ出入り口でした
同切通は極楽寺の開山忍性により永仁6年(1298)頃に切り開かれたと伝わります。
当初の坂道は坂の途中にある成就院門前の高い所を往来していたようです。
元弘3年(1333)5月の新田義貞の鎌倉攻めの際には、ここで激戦があり、義貞軍はここを攻めあぐねて、稲村ヶ崎に迂回(うかい)して海中の干潟に乗じて鎌倉中に攻め入ったことは『太平記』に記されています。
“星の井”は鎌倉十井の一つです
◆昼でも井戸の中に星が輝いて見えたと伝わります
「星の井」は鎌倉十井(じっせい)の一つで、極楽寺切通の登り口右手にあります。
「星月夜の井」「星月の井」とも呼ばれています。
この辺りは昔、昼でも暗かったので、井戸をのぞくと昼でも星が輝いて見えたといいます。

“星月夜”は鎌倉の歌枕です
◆誤って菜刀を井戸に落として以来は星が消えてしまいました
「星の井」に、ある時、近所の人が誤って菜刀(ながたな)を落として以来、星が消えてしまったと伝わります。「星月夜」は鎌倉の歌枕で和歌に詠まれています。現在の鎌倉市章は「ササリンドウ」で、旧鎌倉町章は「星月」でした。「星月」は鎌倉国宝館や巨福呂坂洞門等に見ることができます。

かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。