

鎌倉市大町2-4-20(鎌倉駅東口徒歩15分)
“辻薬師堂(つじのやくしどう)”(鎌倉市)は、JR線大町踏切の手前にあります。
元々は名越にあった長善寺(廃寺)の薬師堂のみが現在地に移されました。
本尊の木造薬師如来像、日光・月光菩薩像の他に十二神将像が祀(まつ)られています。
現在安置の三尊像と2躯(く)の神将像はレプリカです。徳川光圀(水戸黄門)も参詣していたようです。
薬師三尊像と十二神将像は鎌倉国宝館で観覧できます
◆染屋太郎大夫時忠は東八ヶ国の総追捕使です
辻薬師堂の薬師如来立像は行基作と伝わり、十二神将像は8躯が鎌倉時代、4躯が江戸時代のもので全15躯は県重文です。
鎌倉国宝館で観覧できます。
「染屋時忠」は、藤原鎌足の玄孫(やしゃご)で、東八ヶ国の総追捕使(そうついぶし)です。
長谷の甘縄神明神社を建立したと伝わり、また奈良東大寺や大山寺を開いた良弁(ろうべん)僧正の父ともいわれます。
長善寺は時忠の「鷲(ワシ)にさらわれた娘の遺品」が見つかった名越に、奈良時代の神亀年間(724~729年)に建立したといわれる寺院です。


由比の長者“染屋時忠”の伝説
由比の長者・染屋太郎大夫時忠は文武天皇から聖武天皇の時代まで鎌倉に住んだと伝わりますが確かなことは分かりません。
時忠の3歳の娘が侍女に連れられて浜辺で遊んでいると大きな鷲にさらわれて餌食となってしまい、その娘の血や骨とも思われるものなどがこぼれた伝説地は鎌倉の七カ所にあります。
長善寺(現在の辻薬師堂)の他に、西御門来迎寺(如意輪観音)、魔の淵の地蔵(二階堂)、大町妙法寺(鷲の宮)、六国見山(稚児墓)、大船多聞院(岡野観音)、塔ノ辻(由比ガ浜大通り)にも伝わります。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。