

鎌倉市植木128(大船駅徒歩20分)
龍寳寺(りゅうほうじ)は曹洞宗の名刹(めいさつ)です。
玉縄城3代城主の北条綱成(つなしげ)が山居(さんきょ=現在の栄光学園辺り)に創建の瑞光院が始まりで、後に6代北条氏勝は現在地に移し、父・氏繁の戒名「龍寳寺殿」を寺名とします。
本堂には本尊釈迦如来坐像や脇侍の文殊・普賢菩薩の釈迦三尊像をはじめ歴代玉縄城主や鎌倉幕府3代将軍源実朝の位牌(いはい)も安置されています。
玉縄北条氏の供養塔があります
◆氏勝は玉縄城の無血開城を行います
玉縄城主代々(3代北条綱成・4代氏繁・6代氏勝)の供養塔は裏山にありましたが、宅地開発のため、本堂横の現在地に移しました。
氏勝は豊臣秀吉の小田原攻めの時、徳川家康の陣所に出仕し玉縄城の無血開城・降伏をしています。
氏勝は後に家康に仕え、下総国の岩富城主となっています。

境内に新井白石の石碑があります
◆石碑の碑文は朱子学者・室鳩巣の撰文です
朱子学者で江戸幕政に尽力した白石の石碑が境内にあり、碑文は友人の室鳩巣(むろきゅうそう)の撰文。
石碑は摩滅して判読はできませんが、白石の功績をたたえています。
白石は、知行地の天領(幕府直轄地)の同地“鎌倉市城廻(しろめぐり)・植木”から家禄を得ると龍寳寺に200石を献上しています。
近所の玉縄小学校の校章(新井家家紋)と校歌は新井白石との縁を表しています。

境内の旧石井家住宅は国指定重要文化財です
石井家は小田原北条氏時代の地侍で、江戸時代には、関谷村で代々名主を務めていました。
旧石井家住宅は江戸時代初期の建築と思われ、神奈川県下に多い農家の典型的な構造です。
鎌倉から甲州に至る街道筋の関谷にあった建物を移築しています。
同建物は昭和44年(1969)国重要文化財の指定を受けています。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。