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禅居院山門 
鎌倉市山ノ内1534(北鎌倉駅徒歩15分)

禅居院(ぜんきょいん)は建長寺塔頭(たっちゅう)で鎌倉後期の創建と伝わります。
開山は建長寺22世清拙正澄・大鑑禅師で中国元の高僧です。執権北条高時の招きで嘉暦元年(1326)に来日。
建長寺住持を務めた後には京都建仁寺、南禅寺の住持を勅命により歴任します。
開基は信濃飯田の守護・小笠原貞宗で北条高時、後醍醐天皇、足利尊氏等の武道師範として名高い武人です。

本堂には本尊聖観音菩薩半跏像・摩利支尊天像等が安置されています

◆聖観世音菩薩半跏像は遊戯坐像と呼ばれます 
本尊の聖観世音菩薩半跏像(非公開)は、ゆったりとしたそのお姿から遊戯(ゆげ)坐像と呼ばれます。
鎌倉仏教彫刻の最も秀でた尊像で県重文です。寄木造り、玉眼入り、像高69.5㎝です。鎌倉中期の彫造と思われます。

本堂と境内庭園

摩利支尊天像は中国皇帝の下賜と伝わります

◆摩利支尊天像は陽炎を神格化した神が起源です 
摩利支尊天像は開山来日の際に中国皇帝より下賜(かし)されたものと伝わります。
尊像は陽炎(かげろう)を神格化した古代インドの神を起源としています。
陽炎のように変幻自在の働きをする尊天は戦士の姿で6本の手に各武具を持ち、勝利の神として多くの武将にあがめられました。


“小笠原流礼法”は現在も続いています

開基の小笠原貞宗は現在も続く小笠原流礼法の中興の祖と伝わります。
東京都小笠原村のHPによれば、小笠原諸島は文禄2年(1593)、信州深志城主のひ孫、小笠原貞頼により発見されたと伝わっています。同院寺紋の「三階菱(さんがいびし)」は、清和源氏義光流で甲斐源氏武田氏の一族の家紋です。
例年、鶴岡八幡宮では小笠原流の流鏑馬(やぶさめ)が奉納されています。

小笠原流流鏑馬

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。