

鎌倉市山ノ内1543(北鎌倉駅徒歩15分)
円応寺(えんのうじ)は建長寺門前にある建長寺塔頭です。
建長2年(1250)に智覚禅師を開山に創建。
初めは見越嶽(甘縄神明神社付近)にあり、幕府滅亡後に足利尊氏が材木座海岸付近に移建し新居閻魔(えんま)堂と称しました。
元禄年間の大地震の翌年に現在地に移転。本堂内には本尊閻魔大王像ほか冥府(あの世)の十王像等が居並びます。
円応寺の寺名由来は“閻王”で閻魔様の寺院です
◆閻魔様が亡者の来世の行き先を決定します
円応寺の寺名由来は「閻王(えんおう)」で文字通りに閻魔様の寺院です。
秦広王、初江王、宋帝王、五官王の四王が閻魔帳に記した7日ごとの記録などで亡者の罪を取り調べます。
その結果で亡者が六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどこに行くかを閻魔様が決定します。

来世の行き先の内容や性別・寿命なども決められます
◆変成王、太山王は六道の内容を決定します
変成王、太山王は六道の内容を決定します。
再び人間界の場合でも平和な国、豊かな国、貧しい国がありますね。そして七・七日(四十九日)の太山王は性別や寿命を決定。
亡者はさらに百ヶ日、一周忌、三回忌と十王の取り調べを受けます。

閻魔大王像(国重文)は運慶作と伝わります
本尊の閻魔大王像は仏師「運慶」作と伝わり国重文です。
運慶は頓死して閻魔王の前に引き出され、閻魔王が「汝(なんじ)は生前に物惜しみし、欲深い罪により、地獄に落ちるところだが、汝が我が姿を彫像し、その像を見た人々が悪い事をしないで、善い行いをするのであれば、汝を娑婆(しゃば)に戻してやろう」と言われます。運慶は生き返った事を喜び、笑いながら彫像したため閻魔様のお顔も笑っているようにも見えます。
「笑い閻魔」と呼ばれる由縁です。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。