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定泉寺 横浜市栄区田谷町1501
(大船駅からバス乗車、バス停「洞窟前」下車すぐ)

定泉寺(じょうせんじ)は鎌倉幕府の御家人和田義盛の3男・朝比奈三郎義秀の館跡に創建と伝わります。
境内の“田谷の洞窟(たやのどうくつ)”は元鶴岡八幡宮寺二十五坊の坐禅道場で田谷山瑜伽洞(たやさんゆがどう)といい、巨大な一枚岩で幾度かの大地震にも見事に耐えています。
鎌倉初期開創と伝わり江戸時代まで整備、拡張。洞窟内は上下3段、全長1km余りの壮大な規模です。

洞窟壁面には一願弘法大師ほか諸像が刻まれています

◆“一願”とはたくさんの願いのうち切実な願いのみ祈願すること 
洞窟内の壁面には“一願(いちがん)弘法大師”をはじめ四国・西国・坂東・秩父各札所本尊、両界曼荼羅諸尊、十八羅漢等数百体が刻まれています。
“一願”とは、正しいという字は一つに止めると書いて“正”なので、たくさんの願いのうち切実な願いのみ“一願”を祈願するとご利益があるとされます。

田谷の洞窟の入り口

“厄除木魚”を叩き厄除(よ)けのご祈願を

◆歓喜大黒天の鈴を振って招福祈願も 
本堂内には本尊厄除身代り阿弥陀如来、不動明王・弘法大師等を安置。また厄除木魚や歓喜大黒天が祀(まつ)られています。
木魚は厄年の方は年齢の数、他の方は21回たたくと当年の無事を祈願できます。
大黒天は和合のご利益があります。鈴を振って商売繁盛・合格祈願・恋愛成就のご祈願を。

本堂内の厄除木魚

義秀の残した念持仏“弁財天”を護持

建暦3年(1213)和田合戦に敗れた義秀は当地を追われると義秀の念持仏「弁財天」を護持のため、鶴岡二十五坊の僧侶が訪れます。弁財天の祠(ほこら)がある横穴を修行場として拡張し道場とします。「定泉寺」は天文元年(1532)二十五坊相承院隆継僧正が同地に建立。江戸期には、横浜「三会寺(さんねじ)」の末寺となり、天保年間に寂照住職(三会寺29世)により洞窟内の整備と拡張が進められました。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。