

三浦半島中央部には三浦氏の本拠衣笠城址があり、その周辺には一族の建立した寺院が点在しています。
満願寺(まんがんじ)もその一つで三浦義明の子“佐原義連(よしつら)”ゆかりの寺院です。
義連は寿永3年(1184)2月、19歳の時、平家追討の戦いでは西国各地に転戦し手柄を上げ“左衛門尉(さえもんのじょう)”に任ぜられます。“願望満ちたる”という意味で当寺の寺号を“満願寺”と称しました。
収蔵庫に安置の毘沙門天像と不動明王像
◆両像ともに横須賀市指定重要文化財です
収蔵庫内に安置の毘沙門天像は像高163㎝で、量感豊かな力強い姿です。
不動明王像の右手の剣は悪を絶ち、左手の羂索(けんさく)は迷いから救い上げてくださるといいます。
両像ともに木造寄木造り玉眼入りで横須賀市指定重要文化財です。


“無功徳(むくどく)”は禅語です
◆本堂前庭の石組に“無功徳”の禅語が刻まれています
中国・梁(りょう)の“武帝”は、インドから達磨大師が渡来時に「私は多くの寺を建立し多くの供養もしたので大きな功徳があると思う」と言うと、大師は「功徳などない」と否定。功徳を思い現世利益を求める心が既に真の宗教とは無縁だと、無言の法を説いています。

境内には松尾芭蕉の句碑があります
境内の芭蕉の句碑「まづたのむ 椎の木もあり 夏木立」は、幕末に浦賀奉行所与力で俳人でもある中島三郎助が同寺に立ち寄った時に芭蕉の句を思い出して揮毫(きごう)。
三郎助は嘉永6年(1853)ペリー来航時に日本人で最初にペリー旗艦サスケハナ号に乗り込み交渉に当たった人物です。この時、アメリカ人は三郎助の造詣の深さに驚いたといいます。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。