別願寺 鎌倉市大町1-11-4
鎌倉駅から徒歩12分

別願寺(べつがんじ)は「大町四ツ角」交差点を名越方面に150mほど左手に立つ時宗の寺院です。
元は真言宗でしたが、弘安5(1282)年に住職公忍が一遍上人の弟子となり名も覚阿と改名し、時宗に改宗しています。鎌倉中にある時宗寺院の第一として室町時代には鎌倉公方の先祖代々の菩提(ぼだい)を弔っていました。境内には足利持氏の供養塔があります。

中尊の阿弥陀如来像は足利仏師の作です

◆本堂には本尊阿弥陀三尊像や魚籃観音像が祀られています
本堂には本尊の木造阿弥陀三尊像や魚籃(ぎょらん)観音像が祀(まつ)られています。中尊の阿弥陀如来像は足利仏師の作で、両脇侍の観音・勢至菩薩像は鎌倉仏師の作と伝わります。
魚籃観音は鎌倉三十三観音霊場の第13番です。魚籃とは魚の入れる魚籠(びく)のことで、左手に魚籠を持ち、海上安全や大漁祈願のご利益を授けてくれます。

本尊・阿弥陀三尊像

境内の足利持氏供養塔は鎌倉の代表的大宝塔

◆大宝塔は四方に両開きの扉を付けた鳥居形の紋様が浮彫りにされています
“鎌倉公方”は室町幕府がつくった鎌倉府の長で足利尊氏の子の基氏が初代で、氏満・満兼・持氏・成氏と5代続き関東十国を支配していました。
4代持氏は6代将軍足利義教と対立した永享の乱で敗れます。境内の大宝塔は安山岩製で足利持氏の供養塔と伝わります。塔の四方に両開きの扉を付けた鳥居形の紋様が浮彫りにされています。

足利持氏供養塔



本堂は令和4年に再建されました

小説家の広津和郎は大正6(1917)年に鎌倉に移り、大正13(1924)年まで、坂ノ下・大町・小町等に住み、別願寺にも下宿していました。境内入口の“一夜菜(いちやな)稲荷”は、昔当地で疫病が流行の時に佐竹稲荷の化身が現れ「我が祠(ほこら)の前に菜種をまいて、それを摘んで服用すべし」とお告げします。その通りにすると一夜にして菜種は育ち、病気の人たちが服用して治ったと伝わります。
新しい本堂は令和4(2022)年の再建で5月には檀家(だんか)や近隣の方々と盛大に落慶(らっけい)法要が営まれました。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。