鎌倉の佐助稲荷神社に伝わる ありがたいお話とは…
源頼朝が伊豆に流されていた時に「かくれ里の稲荷」が夢枕に立ち挙兵を勧めます。頼朝=佐殿(すけどの)を助けた稲荷が佐助稲荷神社の名の由来です。境内には稲荷神のお使いである狐が多く祀(まつ)られています。 他に、狐に助けられ […]
鎌倉・片瀬・辻堂 西行法師ゆかりの史跡めぐり
西行法師は歌人の僧侶ですが、昔は佐藤兵衛尉義清(のりきよ)と言う名の北面の武士でした。 どうして「西行」という名前に? 西行は東大寺再興勧進の為に各地を歩いていて多くの伝説が残されています。 鎌倉の裁許橋の別名 […]
菅原道真公が御祭神 荏柄天神社は梅の名所
鎌倉にある荏柄天神社は創建が長治元年(1104)で、鎌倉では古い神社。この年の8月に雷雨と共に天神画像(学問の神様・菅原道真公)がこの地に降臨したので、里人が敬い神社を建てて御祭神としてまつったと伝えられています。古くは […]
「馬入川(ばにゅうがわ)」の 呼び名の由来は?
国道1号線の馬入川は相模川河口の呼び名。ここにかかっている橋が馬入橋です。そこから茅ヶ崎方面へ約2㎞行くと国指定史跡「旧相模川橋脚」があります。橋脚は大正12年(1923)9月の関東大震災で突然水田の地中から出現しました […]
鎌倉英勝寺で見つけました
英勝寺は浄土宗で、現在の鎌倉で唯一の尼寺。祠堂(しどう)は開基・英勝院の位牌(いはい)を祀(まつ)る建物で、水戸家初代徳川頼房の子、徳川光圀によって建立されたようです。日光東照宮を思わせる鮮やかな彩色装飾が施されていて、 […]
幕府の守り神だった夷神がなぜ商売繁盛の福の神に?
鎌倉本覚寺の夷(えびす)神は源頼朝が幕府の裏鬼門の守り神として、厄除け、悪を倒す武人としてまつられました。 その後、門前の滑川にかかる「夷堂橋」まで材木座から船が上がると港の守り神へとご利益を広げ商売繁盛の夷様になります […]
源頼朝の挙兵は 文覚上人のある行動から…
頼朝の父・義朝は平治の乱で敗れ亡くなりますが、平清盛は母の池禅尼の嘆願で頼朝の命を助けます。「“いず”れに流そうか」「伊豆(いず)へ流せ」と頼朝は伊豆に島送りになります。 その20年後に文覚(もんがく)上人の勧めで頼朝は […]
遊行寺の「延文の鐘」その「鐘の音」は?
遊行寺の梵鐘(ぼんしょう)は延文元年(1356)に平和を願って鋳造されましたが、同寺は永正10年(1513)、兵火のために全山焼失。この時に北条早雲によって戦利品として分捕られ小田原に持って行かれます。 (笑風亭かん治) […]