安国論寺観音堂に鎌倉時代の遺構
2024年7月9日
【2024年7月13日号】安国論寺(大町)の観音堂は平成27年(2015)に落慶した幸福(さいわい)観世音菩薩をまつっているお堂です。その地下には鎌倉時代の井戸の遺構や、周囲には柱の痕跡があり、有力武士の館があったと考えられています。
福寿寺(三浦市)は三浦義村が開基です
2022年7月19日
【2022年7月23日号〜かん治さんの歴史探訪】 三浦市の金田湾南端の丘に岩浦山(いわぶさん)福寿寺があります。開基義村は三浦義澄の次男で母は伊東祐親の娘です。幼名は平六、後に駿河守・評定衆に任ぜられています。源頼朝挙兵 […]
常楽寺(大船)は北条泰時が開基です
2022年5月24日
同寺は臨済宗建長寺派の寺院で山号は粟船山(ぞくせんざん)です。“粟船(あわふね)”は、大船の古名。開基は三代執権北条泰時で、妻の母の供養のためにこの地に“粟船御堂” を建てたのが始まりです。開山は退耕行勇と伝わります。泰 […]
和田氏と北条氏の武力抗争 「和田合戦」の発端とは…
2021年9月21日
信濃国住人の御家人泉親平が源頼家の遺児、千手丸を擁し北条義時討伐を計画。その発覚が和田合戦の発端で、賛同者の中に侍所別当和田義盛の四男義直、五男義重、甥の胤長(たねなが)の名がありました。義盛は頼朝の旗上げ以来、数々の功 […]