来迎寺(西御門)の本堂には、三体の客仏がまつられています。源頼朝の法華堂に安置されていた仏様です。
如意輪観世音半跏像、岩上地蔵菩薩坐像、跋陀婆羅尊者像で明治初年の神仏分離令により、手洗石、鰐口(わにぐち)、双盤と共に同寺に移されています。
岩上地蔵菩薩坐像
◆尊像は岩を模した台座に坐しています
この尊像は、応安4年(1371)10月、来迎寺の斜め前の谷(現在の市立二中の辺り)に創建された報恩寺(廃寺)の本尊でした。
開山義堂周信、開基は上杉能憲(よしのり)です。像は岩の上に坐し“岩上(がんじょう)地蔵菩薩”と呼ばれます。
南北朝期の造立で永徳4年(1384)宅間法眼浄宏作です。像の特徴として「法衣垂下(ほうえすいか)」様式で衣の裾を台座から真下に垂らした形です。
跋陀婆羅尊者像
◆彫像としては大きくて古いという全国的にも希少な尊像
跋陀婆羅(バツダバラ)は禅宗では浴室におまつりされる羅漢様です。入浴は座禅と同じように修行の一つという考え方で浴室に像が安置されます。
彫像としては大きくて古いという全国的にも希少な跋陀婆羅尊者像で報恩寺の浴室にまつられていたようです。
以前、像は建長寺広徳庵の自休和尚と言われ、江の島「稚児が淵」伝説の主人公と語られていました。像に祈ると足腰の痛み、頭痛、目の病が去ると信じられています。
永仁の大地震が起き、村人の菩提を弔うために創建
永仁元年・正応6年(1293)4月12日に鎌倉大地震が起こり、建長寺や大慈寺(廃寺)等が倒壊しました。この大地震で、とりわけ西御門で亡くなった人が多かったようです。
しかし、村人の菩提を弔う寺が無かったので、一向上人が村人のために来迎寺を建てられました。
その後、来迎寺は「ご先祖様を弔う寺だから」と維持に努めてくれた村人のおかげで、今日に至っています。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。