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大仏切通 鎌倉市常盤周辺
(鎌倉駅からバス乗車、バス停「火の見下」下車徒歩3分)

大仏切通(だいぶつきりどおし)は鎌倉七切通(七口)の一つで、鎌倉と藤沢方面を結ぶ道です。鎌倉は三方を山に囲まれ南は海です。防御上は非常に有利な地形ですが、通行や物資の運搬などには不便です。そこで山の稜線を切り開いて道を造ったのが切通です。戦略上は重要な道なので、切通周辺には有力者の邸宅などがありました。大仏切通の呼称は近くの鎌倉大仏に由来しています。

大仏ハイキングコースの始(終)点に近い所にあります

◆民家の裏側はすぐに杉林の山道です 
鎌倉駅行き側バス停「火の見下」を下車してすぐ左側の路地を入って道なりに右に行きます。民家の裏側はすぐに杉林の山道です。バス停周辺の町並みのごく近くとは思えない風景に変わります。ここからは葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースの始(終)点になります。山道を進むと間もなく左側中腹に平場(ひらば)があります。

大仏切通

この平場には切岸や“やぐら”が見られます

◆平場は山頂や山腹に造られた平らな場所です 
平場からは、戦いの時に真下を通る人馬に矢を射るとか投石して攻撃します。ここには切岸(きりぎし。防御施設)や“やぐら”(墳墓)が見られます。さらに岩道を行くと、切通しとなり岩の露出した置石もあり往時の険しさが分かります。さらに右に進み下ると5分ほどで鎌倉大仏です。左側に進みアップダウンの尾根道を行くと源氏山や北鎌倉方面に続きます。

平場の切岸とやぐら

大仏切通は新田義貞の鎌倉攻めでは激戦となりました

元弘3年(1333)5月、上野国(現群馬県)から南下した新田義貞は軍勢を三手に分け鎌倉攻めをします。義貞自身は洲崎(現在の深沢地域)の指揮をとり、大仏切通では激戦となったことが『太平記』に記されています。堅固な自然の要塞である大仏切通は、軍事的に重要であったことを伝えます。大仏切通は七口の中でも急峻な古道の様子を現在によく残している国指定史跡です。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。