鎌倉十井“六角ノ井”の伝説
【2024年10月26日号】材木座と小坪の境にある“六角ノ井”は鎌倉十井の一つ。井戸の外形は四角で現在はシートで覆われています。中は石が組まれて八角形で小坪側に二角、六角が鎌倉側にあるため六角ノ井と呼ばれます。
海蔵寺の薬師堂には多くの尊像が
【2024年9月28日号】海蔵寺(扇ガ谷)の薬師堂(仏殿)は安永5年(1776)に浄智寺から移築されています。中央に薬師三尊像がまつられ、その後ろに十二神将が左右に6体ずつ配置され、他にも伽藍(がらん)神や達磨(だるま)大師・弘法大師像などが安置されています。
“海蔵寺”の開山は源翁禅師です
【2024年9月14日号】海蔵寺(扇ガ谷)は臨済宗建長寺派の古刹(こさつ)です。この地は亀ヶ谷坂と仮粧坂とに挟まれた静かな谷あいにあり、鎌倉防衛の要衝地でした。元は真言宗の寺跡に建長5年(1253)に6代将軍宗尊親王の命で前能州(能登国)太守の藤原仲能(なかよし)が七堂伽藍(がらん)の堂塔を整備します。
“名越切通”は鎌倉七口の一つです
【2024年8月24日号】鎌倉は三方を山に囲まれているため、他地域との出入り口が必要でした。そこで鎌倉時代に「鎌倉七口(ななくち)」と呼ばれる七つの切通しが整備されます。その一つ「名越切通(なごえきりどおし)」は、鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路でした。
来迎寺の客仏は源頼朝法華堂に由来
【2024年8月10日号】法華堂に安置されていた仏様です。如意輪観世音半跏像、岩上地蔵菩薩坐像、跋陀婆羅尊者像で明治初年の神仏分離令により、手洗石、鰐口(わにぐち)、双盤と共に同寺に移されています。
来迎寺のご本尊と三体の客仏とは…
【2024年7月27日号】来迎寺(西御門)は藤沢・遊行寺の末寺で時宗の寺院です。永仁元年(1293)の創建で、開山は一向(いっこう)上人。本堂には本尊阿弥陀如来坐像と三体の客仏がおまつりりされています。
安国論寺観音堂に鎌倉時代の遺構
【2024年7月13日号】安国論寺(大町)の観音堂は平成27年(2015)に落慶した幸福(さいわい)観世音菩薩をまつっているお堂です。その地下には鎌倉時代の井戸の遺構や、周囲には柱の痕跡があり、有力武士の館があったと考えられています。