旗上弁財天社(雪ノ下)は 源氏池に鎮座
源頼朝は治承4年(1180)8月に旗上げをして、10月に鎌倉入りし鶴岡八幡宮を由比ヶ浜辺より遷宮、僧良暹(りょうせん)、大庭景義等に命じて源平池を造らせました。 源氏池には島を三つ造り、三は産で源氏繁栄を、平家池には島を […]
妙隆寺(小町)は鎌倉幕府有力 御家人屋敷跡に創建
妙隆寺は鎌倉の小町大路沿いにある日蓮宗の寺院です。この周辺一帯は源頼朝の有力御家人千葉氏の屋敷跡と言われ、その子孫が至徳2年(1385)、日英を開山に創建。開山日英の甥が第二祖日親です。 本堂の右手前の池は日親が寒中、百 […]
二伝寺(渡内)は 玉縄城の砦として創建
玉縄城(現在本丸跡は清泉女学院内にあります)は北条早雲が三浦氏攻略のために築城し、その砦(とりで)として永正2年(1505)に初代玉縄城主北条氏時が創建したのが二伝寺です。 玉縄城とは尾根続きで玉縄城砦の中で一番高い場所 […]
源義経ゆかりの満福寺(腰越) に伝わる「腰越状」とは
満福寺は義経ゆかりの寺としておなじみです。義経は平家を壇ノ浦でやぶり、凱旋して鎌倉入りを果たそうとしますが兄頼朝に足止めされます。この寺で有名な「腰越状」を書き、頼朝に和解を得ようと差し出しますが許されません。これは、義 […]
密蔵寺(藤沢)のご本尊・ 愛染明王は恋愛成就のご利益が
密蔵寺(藤沢市片瀬)は鎌倉時代の末に有弁僧正によって開かれた真言宗の古刹(こさつ)です。ご本尊は愛染明王で、愛を成就させてくれるご利益があります。 また、藍染(あいぞめ)の藍から染物業の守護神としても知られています。 密 […]
杉山和一は江島神社への参籠で 大出世をしました
杉山和一(わいち)は慶長15年(1610)伊勢の津に生まれ、5歳の頃に病が原因で不幸にも失明し、17歳で江戸に上り、鍼術(しんじゅつ)を学びます。和一は鍼術上達の願いで江島神社に参籠して、結願の日に下之宮(辺津宮)の石に […]
寺名は浄妙寺で地名が浄明寺 (鎌倉)なのは…
鎌倉市浄明寺は鎌倉五山第五位の浄妙寺に始まる地名ですが、江戸時代には、「浄妙寺」とも「浄明寺」「常明寺」とも書かれていたようです。 現在の地名「浄明寺」になったのは、諸説ありますが、格式の高い寺名をそのまま使うのをはばか […]
鵠沼海岸地区住民の要望で創建の「鵠沼伏見稲荷神社」
保養地であった藤沢の鵠沼海岸は、昭和4年(1929)に小田急江ノ島線が開通し「鵠沼海岸」駅を中心に住宅地として急速に街づくりが進んでいきます。そして同地区への鎮守社創建をという地区住民の要望で、昭和18年(1943)5月 […]
御霊神社(坂ノ下)のご祭神は
平安時代に創建の鎌倉坂ノ下の「御霊(ごりょう)神社」は元々、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の相模五平氏をまつる「五霊神社」の社名でしたが、いつしか武勇に優れた鎌倉権五郎景正公一柱をご祭神とする「御霊神社」となりました。 景 […]
青砥藤綱(あおとふじつな)の 鎌倉滑川での銭拾い伝説
『太平記』によれば、藤綱は夜中に東勝寺橋の上で、滑川に誤って銭十文を落とすと、家来に五十文で松明(たいまつ)を買わせ、川を照らし探し出させます。 同僚が「十文を探すのに、五十文も使って損だ」と笑うと 藤綱は「銭が川に沈ん […]

