源頼朝は治承4年(1180)8月に旗上げをして、10月に鎌倉入りし鶴岡八幡宮を由比ヶ浜辺より遷宮、僧良暹(りょうせん)、大庭景義等に命じて源平池を造らせました。
源氏池には島を三つ造り、三は産で源氏繁栄を、平家池には島を四つ造り、四は死で平家滅亡の願いを込めたといわれています。
旗上げのときに家運長久の守護神・弁財天が現れ、そのご利益で源氏再興が成ったことから源氏池に旗上弁財天社が創建されました。
JR鎌倉駅、江ノ電 鎌倉駅から徒歩10分
旗上弁財天社
鶴岡八幡宮創建800年記念でご社殿が復元
弁才天は仏教の守護神なので、同社は明治初年の神仏分離の際に取り除かれます。
昭和31年(1956)に再興され、現在のご社殿は、鶴岡八幡宮創建800年の昭和55年(1980)に、江戸末期の文政年間の古図をもとに復元されました。
同社に祀(まつ)られていた弁才天坐像は国重文で、鎌倉国宝館に寄託されています。
木造弁才天坐像について
弁才天はインドの河の神で元は農業神
弁才天はインドの河の神で、はじめは農業神でしたが、河の水がさらさらと流れるせせらぎの音から音楽の神となり、転じて弁舌が良くなることから芸能、学問の神様となっていきます。
同社の弁才天像は裸形彫刻で腰布1枚が彫られて、足をくずして座し、実物の衣装をつけて、琵琶を弾くポーズに造られ、寄木造り玉眼入り、像高98cmで、きわめて写実的で格調の高さが表されています。
なお、鎌倉時代以降は弁財天とも記して福徳の神として人気を博しています。
“楽しい話”
福神漬の名前の由来
カレーライスのお供は「福神漬」ですね。
名前の由来は原料が7種類の野菜(大根・なすなど)で、七福神の弁財天を祀る上野不忍池の近くで発明され、大変おいしいので他のおかずがいらず自然にお金が貯まるからなどという説があります。
旗上弁財天社に参拝して初春の福を呼びましょう。
福神漬は明治10年代の発明とされています。
※諸説あります。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で
お酒は2級を飲んでいまして、
プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。