古くから天神とは天から降臨の地に恵みを与える神として各地に祀(まつ)られます。
そして天神様といえば菅原道真公ですね。
平安時代に天皇の御信任が厚く醍醐天皇の時に右大臣となりますが、左大臣のザンゲンで太宰府に流され当地で亡くなり、その怨霊を慰めるのと結びついて、天神が天満となり祭神が道真公になったようです。

長後天満宮
藤沢市長後1412

長後天満宮の拝殿
長後天満宮の拝殿

 

 

渋谷城と長後天満宮

長後天満宮は渋谷城の守護神として創建
同宮入口階段と鳥居
同宮入口階段と鳥居

平安末頃に桓武天皇の皇子の子孫六郎基家が武州秩父から長後に移り築城します。
基家の子重家は父に従い、度々の戦乱に武功を重ね八幡太郎義家の信任が厚く渋谷の姓を賜ります。

これが渋谷氏のはじまりで、渋谷城は東西100間(約180m)、南北125間(約225m)の城郭で城内に守護神として天満宮が祀られました。

 

明治初年に長後村の総鎮守に

江戸時代には旗本朝岡氏が神殿を造営
同宮鐘楼
同宮鐘楼

渋谷重家の孫、高重は和田義盛の乱に与(くみ)して失脚。
また戦国時代には多くの戦いに巻き込まれ、長後は北条早雲の支配下となります。

江戸時代には旗本朝岡氏に知行地として与えられ、朝岡氏は長後を知行すると直ちに天満宮の神殿を造営します。

明治初年(1868)に村社となり長後村の総鎮守となります。

 

落語「初天神」

天満宮の初天神に行くと父親が言うと、女房から息子を連れてってと頼まれる。
息子は悪戯(いたずら)ざかりで「あれ買えこれ買え」とうるさいので困ったなと思っているところに息子が顔を出したので、やむなく父子一緒に出かける。
道すがら息子に買い物をねだるなと念を押すが天満宮の境内が近くなると息子はねだりはじめて、ついには団子や飴(あめ)を買い、最後はなけなしのお金で大凧(だこ)を買い、親子で凧揚げをすると父親の方が夢中になってしまう。
息子は泣きながら

「こんなことなら、おとっつぁんを連れて来るんじゃなかった」

 

 

かん治さん

「鎌倉検定は1級で
 お酒は2級を飲んでいまして、
 プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。