由比若宮/鎌倉市材木座1-7。鎌倉駅から徒歩20分

源頼朝の5代前の祖・頼義が山城国(現在の京都府)の石清水八幡宮に戦勝を祈願して前九年合戦で奥羽の豪族安倍氏を討ちます。康平6年(1063)、頼義は京都へ帰途に鎌倉に立ち寄り、由比郷鶴岡(現材木座)のこの地に源氏の氏神である石清水八幡宮の御祭神の御分霊を潜(ひそ)かに祀(まつ)ります。
後に後三年合戦の時、頼義の子の源義家が戦勝祈願して社殿を修復。治承4年(1180)、頼朝は鎌倉に入り現在地に鶴岡八幡宮を遷(うつ)します。ここは鶴岡八幡宮の元となったので元八幡と呼ばれますが、正式には“由比若宮”です。

由比若宮の入口にある元鶴岡八幡宮の標石

平直方の子孫が北条時政といわれています

◆「平忠常の乱」を源頼信が鎮圧します
長元元年(1028)に房総半島で“平忠常の乱”が起こると、朝廷はその征圧に平直方を派遣しますが平定に失敗。その後に源頼信・頼義父子を赴かせて乱を平定します。
直方は、頼義の武芸を認めて、頼義に娘を嫁がせ鎌倉の大蔵邸を譲ります。これが、源氏と鎌倉のつながりの始まりで、北条時政は直方の子孫ともいわれています。


境内には“義家旗立松”があります

◆元八幡は海岸近くに建てられたようです
頼義と直方の娘夫婦の間に生まれたのが八幡太郎義家で境内には“義家旗立松”があります。
元八幡は由比ケ浜の八幡宮とも呼ばれていました。由比ケ浜の湾が、この辺りまで入り込んでいたといわれる当時の地形からみて、神社は海に面し、海岸近くに建てられたようです。

義家旗立松
義家は私財で坂東武者達に恩賞を与えます

後三年合戦後に朝廷からは恩賞がでませんでしたが、義家は私財を投じて坂東武者たちに恩賞を与え、彼らの信頼を深めました。この合戦には鎌倉権五郎景政も出陣しています。景政は敵に目を射られますが、ひるまずに、敵陣に攻め入り武功を上げたという武勇伝は有名です。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。