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鶴嶺八幡宮/茅ヶ崎市浜之郷462 茅ケ崎駅から徒歩約25分

鶴嶺八幡宮は平安時代に源頼義(源頼朝の5代前の祖)が平忠常の乱を鎮圧する時に、京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう)して“懐島(ふところじま)八幡宮”を創建したことに由来。後三年合戦の際には頼義の子の八幡太郎義家が現在地の浜之郷に鶴嶺八幡宮を創建しました。ご祭神は応神天皇、仁徳天皇、佐塚大神、菅原道真の四柱です。尚、前九年合戦に勝利の頼義は鎌倉由比郷に懐島八幡宮を勧請し由比若宮を創建したとも伝わります。

国道一号線沿いの朱色の巨大な鳥居

◆茅ヶ崎市を流れる“千ノ川”近くの鳥居 
“千ノ川”に架かる鳥居戸橋近くの大鳥居から764mも長く続いているのが鶴嶺八幡宮の参道です。松並木(松の並木)が参道の両側に続いています。江戸時代初期に同宮別当常光院の朝恵上人が三代将軍徳川家光より七石の御朱印を拝領した記念に同地の地頭山岡氏と共に社殿を再建しさらに参道と社前の馬場に松の木を植樹し現在に伝わります。

鶴嶺八幡宮の大鳥居

“南湖の左富士”は茅ヶ崎の名所

◆歌川広重が浮世絵に描いています 
この辺の街道は大きく右に曲がって江戸から東海道を歩くと“左富士”を見ることができました。東海道で左手に富士山を見る場所は、南湖と吉原(静岡県)の2カ所で、昔から茅ヶ崎名所の一つとして知られ“南湖の左富士”は広重が浮世絵に描いています。

南湖の左富士の石碑

“浜降祭”由来の話

江戸時代後半に寒川神社の神輿(みこし)が大磯の六所神社の国府祭(こうのまち)に渡御した帰りに、相模川の渡し場で台風により流されます。数日後に南湖の網元の鈴木孫七さんの網に寒川神社の「おみたま」がかかり、これを寒川神社に届けたことが、“浜降祭”の契機といわれています。鶴嶺八幡宮では寒川神社のお礼参りよりも古い時代から、浜辺への神輿の渡御が行われていて、両社の「みそぎ」の合体が“浜降祭”の由来と言われています。由来は諸説あります。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。