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青蓮寺/鎌倉市手広5-1-8 大船駅・藤沢駅からバス乗車「鎖大師」下車すぐ

青蓮寺(しょうれんじ)のご本尊は「鎖大師(くさりだいし)」です。弘法大師のお像で国の重要文化財です。
「新編鎌倉志」に「弘法自作の木造あり。鎖大師というなり。鎖を以(も)って膝を屈伸するように造る故に名づく」と記されています。
同寺は天正19年(1591)に徳川家康から二十五石を寄進されるほどに寺格の高い寺と認められていたようです。

“鎖大師”像の行脚の歴史とは

◆江戸期末までは鶴岡八幡宮等覚院に安置 
“鎖大師”は嵯峨天皇の命で空海が諸国行脚に出る時、別れを惜しみ天皇に献上した等身大着衣裸形像です。
法衣(ほうえ)などをつけ、目は玉眼、爪は水晶で造られ、関節が動きます。
天皇の崩御に伴い、奈良の岡寺に遷(うつ)り、後に源頼朝が鶴岡八幡宮等覚院に迎え、明治の神仏分離で寿福寺を経て、大師ゆかりの青蓮寺に遷されました。


青蓮寺の寺名の由来

◆池に青色の美しい蓮の花が咲き誇っていました
平安初期に東国を巡っていた空海(弘法大師)が青蓮寺の裏山で7日間の護摩秘法を修行中に、美しい天女(江の島の弁天様)が現れて護摩の助法(他の寺院の法務を助けること)などに力を貸します。
修行を終えると天女は一粒の仏舎利(お釈迦様のご遺骨)を空海に託し池に姿を消します。
翌朝、池には青色の美しい蓮の花が咲き誇っていたのが寺名の由来です。

修行の地“奥の院”の像

今年は“弘法大師”御生誕1250年です

空海は平安初期に讃岐国(香川県)で誕生し幼名は真魚(まお)。最終的な法名が空海です。
31歳で唐に渡り、真言密教を学び帰国後は真言宗を開宗。嵯峨天皇・橘速勢と共に三筆として有名。
承和2年(835)に62歳で死去。後に「諡(おくりな)=“弘法大師”」を醍醐天皇から贈られています。
今年は御生誕1250年の節目の年です。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。