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本覚寺の“釈迦三尊像”/鎌倉市小町1-12-12。鎌倉駅から徒歩5分

本覚寺のご本尊は“釈迦三尊像”(鎌倉市指定文化財)です。
中尊は“宝冠釈迦如来坐像”で脇侍(わきじ)は文殊・普賢の両菩薩像。中尊は如来像ですが宝髻(ほうけい)を高く結い上げています。南北朝期の彫像で現在のお像は近年に修復し、日蓮宗寺院では珍しい光背のあるお像です。
文殊菩薩は獅子の台座に坐し左手に経巻を持ち、右手に剣を握っています。普賢菩薩は白い象に乗り、手にはハスの蕾(つぼみ)を持っています。
中尊の前には“経読みの日蓮聖人像”が祀(まつ)られています。

本覚寺は“日朝さま”と親しまれています

◆「東身延」とも呼ばれています 
本覚寺は人々に「日朝(にっちょう)さま」という呼び名で親しまれています。
開山の日出(にっしゅつ)上人が鎌倉公方足利持氏の信頼を得て同寺を創建。
2代目の住職は日蓮聖人の再来とまでいわれた日朝上人です。
身延山久遠寺の11代目法主(ほっす)を勤められ、身延山への参詣が困難な方々のために、東は本覚寺に日蓮聖人のお骨を分骨したので同寺は「東身延」とも呼ばれています。


“夷(えびす)堂”に日蓮聖人が滞在

◆本覚寺創建の由来が夷堂にあります
源頼朝は幕府の鬼門の守り神として、当地に夷(えびす)堂を祀りました。
佐渡に流されていた日蓮聖人が許されて鎌倉に帰った時に、40数日間、夷堂に滞在。その後に聖人は身延山に移り、久遠寺(くおんじ)を開創(今年は750年目)します。
夷堂滞在の縁で、その160年後に、夷堂の地に日出上人が本覚寺を創建します。

経読みの日蓮聖人像

伝説の釣り鐘の話

開山の日出上人が木更津八幡宮寺(上総国)の僧との法論で勝利し八幡宮寺側は“釣り鐘”を差し出します。
相手方は、重すぎて、とても持ち帰ることはできないと思っていましたが、日出上人の弟子で強力(ごうりき)の石渡新造左衛門が、鎌倉まで担いで運んで来たという伝説が伝わります。
この釣り鐘は庫裏に保管されています。

伝説の釣り鐘

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。