錦屏山(きんぺいざん)瑞泉寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、鎌倉時代末に夢窓疎石(国師)が開いています。
山号は背後の山が錦の屏風(びょうぶ)のように広がる絶景に由来。
足利基氏や代々の鎌倉公方の菩提寺として関東十刹第一の格式を誇りました。
夢窓国師は作庭の天才で京都の西芳寺、天龍寺の庭園も作庭。その中でも瑞泉寺庭園は鎌倉の自然地形の魅力を引き出しています。
裏山の庵“徧界一覧亭”から富士山が望めます
◆鎌倉五山の僧はここで詩会を開いています
本堂の裏には、夢窓疎石の作庭の庭園があります。岩盤をくり抜いて洞が掘られ、坐禅修行が行われました。
庭園から十八曲(きょく)の小道を上がると山頂には徧界一覧亭があり、富士山や伊豆半島が望めます(現在非公開)。鎌倉五山の僧はここで詩会を度々開いています。
瑞泉寺庭園は現在よりも広かったようです
◆早稲田大学大学院生等が調査
現在は、庭園と山門前の崖の間に本堂がありますが創建当時の建物は谷の下にあったようです。
平成12年(2000)頃に早稲田大学大学院生等が瑞泉寺一帯に残る鎌倉時代の遺構を調べる目的で調査しています。
庭園は昭和44年(1969)頃に大がかりな発掘が行われ、以前のこぢんまりとした庭の下から、岩盤を削った池や中島、滝など創建当時の庭が姿を現し国の名勝に指定されています。
“むじな塚”の話…
瑞泉寺の山門を入り、左手の鐘楼の奥に“むじな塚”があります。
夢窓国師の徳を慕い永く住みついたむじなが寺男のじいさんに化けて朝晩に国師の法話を聞いているうちに悟りを開いて、往生を遂げると国師はむじなを境内に葬ってあげました。
これが“むじな塚”の伝説の一つです。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。