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江の島岩屋/藤沢市江の島2。小田急線片瀬江ノ島駅徒歩30分

“江の島岩屋”(藤沢市)は昭和46年(1971)に岩崩れがあり、長期間、鉄条網で閉鎖されていました。
その後総工費約14億円をかけ平成5年(1993)に再開し、今年は30周年になります。
波の浸蝕でできた岩屋は、第一岩屋(奥行152m)と第二岩屋(奥行56m)とで構成され、岩屋の中は音響と照明で演出され実に神秘的なムードを醸し出しています。
古くは弘法大師や日蓮上人の修行の地と伝わり、江の島信仰が始まった場所です。

第一岩屋の最奥は江島神社発祥の地

◆二股に分かれたもう一方は富士山に通じると伝わります 
岩屋入口から岩屋の歴史資料等が展示された通路を通り第一岩屋へ。
第一岩屋の最奥は2つに分かれ、左側に行くと富士山の麓にある鳴沢氷穴に続いているとの表示が。
右側に進むと突き当りの場所は、江島神社発祥の地と伝わります。昔はここに江島神社のご祭神三柱の女神が祀(まつ)ってあったようです。

江島神社発祥の地

江の島と片瀬地区は砂州で結ばれていました

◆現在でも干潮時に「海の道」が現れる時があります
江の島と片瀬地区間は、かつては砂州によって結ばれており「陸繫島(りくけいとう)」でした。
現在でも大きく潮が引くと、江の島は陸続きになり、この地形をイタリア語で「トンボロ」と呼びます。
江の島のトンボロ現象は、必ず現れるとは限りませんが、潮位がおよそ20cmより低くなる時に現れるようです。

陸続きになるトンボロ現象

岩屋に源頼朝が戦勝祈願に参拝

歴史書『吾妻鏡』の中で「寿永元年(1182)4月5日条に源頼朝が奥州藤原秀衡征伐祈願のために江の島へ参詣」とある場所はここの岩屋です。
頼朝は、文覚上人を招き、「弁才天」を勧請(かんじょう)、「鳥居」を寄進しています。
岩屋は昔から「龍窟」「本宮」「神窟」「龍穴」と呼ばれていました。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。